2022年06月27日( 月 )
by データ・マックス

「鉄道は国家なり」~国土を支える基幹インフラの過去・現在・未来(5)

JR九州 初代社長 石井 幸孝 氏

 鉄道の登場が当時の物流や産業にどれほどのインパクトを与えたのか、現代の我々にはとても想像できない。携帯電話、インターネット、AIなど「時代を変える」技術を日々目にしているが、鉄道もまた世界を変えた技術だったのだ。鉄道が、九州と日本の現在と未来にどのような影響を与えるのか。国鉄分割民営化で誕生したJR九州を上場会社にまで育て上げた石井幸孝氏が説き起こす。

鉄道の未来は新幹線物流にあり

▲今こそ鉄道輸送の真の力を見直すべき時期だ

 このように見直されつつある鉄道輸送ですが、その切り札といえるのが新幹線による輸送です。新幹線は、前述のように1,435mmの標準軌を採用していますから、狭軌を採用している在来線の鉄道輸送よりも大量・高速な輸送が可能になります。現在、JR貨物は鹿児島~大阪間を18~20時間かけて輸送しています。トラック輸送もおおよそ同じ時間がかかります。一方、九州新幹線は鹿児島中央と新大阪の間をおよそ4時間10分で結んでいます。通常の旅客新幹線より1.5倍かかると計算しても、新幹線貨物列車は6時間ほどで鹿児島~大阪間の貨物輸送が可能だ、ということになります。

 現在新幹線は深夜の旅客輸送は行っていません。毎日深夜の6時間を線路保守に充てるとしていますが、線路にバラスト(砂利)を敷いている東海道新幹線以外は、保守にそれほど手間はかかりません。この夜の時間帯にも、新幹線貨物列車を走らせれば良いのです。深夜は最高速度200kmくらいで十分です。もちろん、沿線の住民の方にご理解をいただく必要はあります。新幹線貨物列車は、コンテナを積む専用車両を準備するか、現在走っている旅客用車両から座席や網棚を取り除いて宅配便業者が使用しているロールボックスパレットを積載するか、どちらかの方式が考えられます。それぞれメリット・デメリットがありますから、貨物需要に応じてどのような貨物列車を採用するかを考えていかなければなりません。

新幹線の技術と設備を未来へ贈る遺産に

 これからの日本は、本格的に人口が減少する局面に入っていきます。新幹線は、日本の人口が増え、経済も右肩上がりに成長していた時代につくられた、いわば「高度経済成長期の遺産」です。縮小していく経済のなかで、かつての新幹線のような国家的な事業を興すのは難しいですが、ならば先人たちが築いてきた遺産をどう生かすかを考える必要があります。

 鉄道の「遺産」は、北海道から鹿児島まで日本列島を縦貫した新幹線だけではありません。日本の鉄道技術は世界でもトップクラスで、これから高速鉄道時代を迎えようとしている東南アジアにとっては必要不可欠なものです。とくにインドシナ半島では国をまたいだ高速鉄道の計画が進んでいます。中国の昆明を起点にして、ハノイ・ホーチミンに至る東ルート、ビエンチャン・バンコクに至る中央ルート、チェンマイからバンコクに至る西ルートがあります。さらに、バンコクからマレーシアのクアラルンプールを経て、シンガポールに至る路線も計画されています(マレーシア・シンガポール間は、マレーシアのマハティール首相が「投資効果がない」と計画中止を発表しています。旅客だけでは成り立たないことに気づいたのでしょう。さすがマハティール。高速鉄道は物流にも使わなければ)。これらのルートでは、日本の新幹線技術やノウハウが生きるところがたくさんあるでしょう。

 新幹線が開通する3年ほど前に、大蔵省の若手官僚が「新幹線反対」の声を上げました。「東海道新幹線は、万里の長城・戦艦大和・ピラミッドの『世界の三大バカ』に並ぶものになる」というのです。しかし実際には、新幹線は高速鉄道として世界の先駆けといえる存在になりました。

 新幹線は「未来技術遺産」として後世に残されることになっていますが、その栄誉よりも今現在、きちんと使ったほうが良い。今後、戦後の高度成長期につくったけれど、今は使わなくなったインフラ施設、いわば「高度成長期遺産」は増えていくでしょう。新幹線を、この「高度成長期遺産」の1ページに収めてしまってはいけない。せっかくの新幹線を活用しなかったら、その若手官僚から「それみたことか」と言われてしまいますよ。

(了)
【聞き手・文・構成:深水 央】
(シリーズ・終)

<プロフィール>
石井 幸孝 (いしい・よしたか)

1932年10月広島県呉市生まれ。55年3月、東京大学工学部機械工学科を卒業後、同年4月、国鉄に入社。蒸気機関車の補修などを担当し、59年からはディーゼル車両担当技師を務めた。85年、常務理事・首都圏本部長に就任し、国鉄分割・民営化に携わる。86年、九州総局長を経て、翌87年に発足した九州旅客鉄道(株)(JR九州)の初代代表取締役社長に就任。多角経営に取り組み、民間企業JR九州を軌道に乗せた。2002年に同社会長を退任。

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