2024年05月27日( 月 )

長崎の人の魅力を観光資源へ!受け入れるDNAを生かす「進化するまちづくり」(後)~田上富久長崎市長

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観光とまちづくりの融合へ

 ――小山薫堂さんが代表を務める(株)オレンジ・アンド・パートナーズにシティプロモーションを委託されるそうですが、委託までの経緯についてお聞かせください。

国宝 大浦天主堂

 田上 長崎がこの10年間進めてきたプロジェクトが、観光まちづくりです。昔から観光地でしたが、以前「観光は観光業者の仕事」というイメージがあり、観光客が訪れるグラバー園の周辺や南山手は、市民が行くところではないという認識がありました。完全に、観光と市民が分離している状況です。それでは長続きしないということで、観光とまちづくりの融合を目指し、長崎を訪れた人も、迎える市民も喜ぶ、観光のあり方を目指そうとしました。その第1弾が、市民がガイドとして観光の一翼を担い、観光客と一緒にまち歩きを行う「長崎さるく」です。

 そこから「まちぶらプロジェクト」につながっていますが、次のステップでは、これまで場所やモノ、出来事に着目して、そこに人を引き寄せていたのを、さらに進化させて、長崎の「人」や日常の「暮らし」に魅力を感じてもらう、新しい「まちの楽しみ方」をつくろうとしています。そういう仕組みをつくるセンスがあり、また、力を貸してくれるとなると、やはり日本では小山薫堂さんが第一人者だと思います。小山さん自身が、長崎にゆかりがあり、長崎に関心を持たれています。ときどきお見えになるときも、長崎のまちの路地などに入って行かれ、ご自身が楽しまれており、また、そのことを発信されています。

 ――個人的には、小山さんのご先祖である北野織部さん、小山秀之進さんのご兄弟が、幕末から明治にかけて、長崎のまちづくりに多大な貢献をしているということで、運命的なものを感じています。

 田上 大浦地区の外国人居留地の造成は北野織部さんがなされ、大浦天主堂、グラバー邸の建築を小山秀之進さんがされました。その子孫としての愛情を持って、長崎に接していただけているように感じています。これまでの取り組みから、長崎の「人」の魅力につなげることが終点だと思っています。小山さんは、「長崎は人が面白い」とよくおっしゃられておりますし、新たな発想でどんな仕かけをつくってくれるのか、非常に楽しみにしています。

 ――最後になりますが、田上市長が伝えたい長崎の魅力とは。

長崎くんちの奉納踊りの1つ「鯱太鼓」

 田上 長崎のまちは446年間、特殊な歴史をたどってきました。人間が生い立ちや育ち方で性格が変わるように、まちも約450年の歴史のなかでユニークなまちに育っています。その一番の特長は、宗教、文化、風習、そして人を受け入れるというところにあります。たとえば、精霊流し、ペーロン、ちゃんぽんは、中国文化の影響です。一方で、オランダなど西洋文化の影響もあり、医学が発達するほか、長崎に来られた方から「居心地が良い」とよくいわれます。私も実は、オランダのアムステルダムを訪れた際、「あなたもこのまちにいていいよ」と言われているような居心地の良さを感じました。それはおそらく、いろいろなものを受け入れてきた歴史が、その雰囲気をつくっているのだと思います。長崎にも、たとえば、まちで修学旅行生が困っていたら、声をかけるような市民性があります。不思議なまちで、「受け入れること」が、まちのDNAのなかに組み込まれているんですね。

 交流拠点施設の整備は初期投資が大きいことから、行政が行う必要がありますが、それを利用して、まちを盛り上げていくには、市民の皆さんのご参加が不可欠です。市民とともにまちづくりを行う、「進化するプロジェクト」を進めていきたいと考えています。今後、長崎を訪れる方には、長崎の人に話しかけることで居心地の良さを味わっていただきたい。また、高級魚だけではなく、安くて美味しい新鮮な大衆魚、中国盆や唐寺の奥深い歴史、6月の小屋入りからまちの人たちが一生懸命に練習し、10月の7~9日に盛り上がる「長崎くんち」など、多様性のある文化をじっくりと堪能していただきたいですね。

(了)
【聞き手・文:山下 康太】

<プロフィール>
田上 富久(たうえ・とみひさ)
1956年12月10日生まれ。80年10月、長崎市役所に入所し、観光部観光振興課主幹、企画部統計課長などを務める。2007年4月の長崎市長選挙で初当選。現在3期目。日本非核宣言自治体協議会会長、平和首長会議副議長、長崎県市長会会長、全国市長会相談役を務める。趣味は、映画鑑賞とさるくガイド。

 
(中)

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