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2015年04月24日 07:05

怪物・カマチグループ創設者、蒲池真澄氏(16)

 

<武雄市民病院の買取を機に「巨樹の会」へ>

 2004年に彦島病院と下関リハビリテーション学院が合併してからは、2008年まで社団法人下関診療協会には目立った動きがなかった。同年、一般社団法人巨樹の会と改名したのは、武雄市民病院を買い取ることになったからだ。おりしも新臨床研修制度の結果、公立病院から民間病院へ研修医が流れ、公立病院の経営が揺らぎ始めていた。その一つであった武雄市民病院の譲渡を受け、2010年『新武雄病院』を開院した後は、関東地方の病院を次々と巨樹の会の傘下に収めていった。

yachiyo 医療法人友愛会だった八千代リハビリテーション病院を始め、医療法人しらさぎ会から新上川病院、医療法人新医療界から明生リハビリテーション病院の譲渡を受け、その後、医療法人燿生会の燿生会病院を買収し、宇都宮リハビリテーション病院とした。
 また巨樹の会ではないが、都心のリハビリ病院といえば、春山茂雄氏が田園都市厚生病院として所持していた医療法人社団緑野会中央林間緑野病院も2010年に医療法人社団 緑野会 みどり野リハビリテーション病院としてカマチグループにの傘下に入った。
 巨樹の会の方はその後新設も行い、原宿リハビリテーション病院を開設する頃には関東圏に10病院(うち1病院は急性期)を持つようになっていた。

<全国チェーン店展開にも似た開設スタイル>

 カマチブループの事業展開の速さは、手段としてはチェーン店が全国に店舗を展開していくのに似ている。どの病院も「人の目を引く外観と大人数の若いリハビリ職員。そして最新介護機器を用いて1日数時間365日のリハビリを提供」という共通のコンセプトで統一されており、建設先取得から開設までを短期間で行える。
 だが、これを単純な効率化と考えるのは性急である。実践するのは簡単なことではないからだ。旧来のリハビリ観は「リハビリ職員自らが肉体を使い、直接患者に触れ、支え行うもの」というもの。重労働が伴い、とてもではないが365日、長時間施せるものではない。今も熟練スタッフの中にはこれをリハビリの常識と捉える熟練者は多い。

meisei しかしカマチグリープのリハビリ学院では「リハビリとは、最新介護医療機器を使って、職員、患者それぞれ体に負荷をかけることなく、長時間連続で365日提供する」というもの。従来のやり方に馴染んだベテランに、この新しい技術と考え方を習得させるのはなかなか難しい。それより白紙状態の若者の方がいい。若者に、最新リハビリ技術と考え方を浸透させ、統一した価値観を持つリハビリ職員として育てているのがカマチグループのやり方なのだ。
 最新介護医療機器の操作に慣れた若いスタッフは、ゲームのように楽しいリハビリを高齢者に提供することができる。患者も楽しい。短期間に結果が出れば喜ばれ、周囲の医療機関も、急性期治療後の患者の受入先として考えるようになるだろう。

<まずは経営理念を浸透させた人材を育成>

また関東圏での病院開設展開の速さは、リハビリ病院の卒業生の受け皿づくりとしても機能する。就職率が高ければ、自ずと入学率も上がる。「入学→教育→就職(入職)」という効率の良いステップが築かれている。「カマチグループは看護学校もある。看護師やリハビリ職員の確保には、困ったことがないはず」と医療業界に詳しい業者は語る。
 学校や病院というハコができても、中を満たす学生や職員がいなければ、いくらハコが立派でも機能しない。再度言う。カマチグループの戦略は、進出前に蒲池真澄氏の理念である「早期リハビリ、早期在宅復帰」という理念が浸透した「職員」を大人数確保し、病院それぞれの個別具体的な特徴に拘らずに効率よく開設していったところにある。「まずは学校ありき」が先手必勝の秘訣だったのだ。

(つづく)

<プロフィール>
kamati_pr蒲池 真澄
学校法人福岡保健学院創設者、社会医療法人財団池友会理事長、カマチグループ会長。
1940年4月14日、福岡県八女郡黒木町生まれ。蒲池家は江戸中期から8代続いた医師の家系で、蒲池真澄で9代目となる。59年 福岡県立修猷館高校卒業、65年九州大学医学部卒業。東京虎ノ門病院でインターン(1年間)、九大大学院医学研究科、下関市立中央病院、福岡大学医学部を経て、74年に今日の池友会グループの礎となった下関カマチ病院を開院し独立した。

 

 

 

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