2024年04月24日( 水 )

安穏とした新天町は“茹でガエル”になっていないか!?

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

 カエルを熱いお湯に入れると、驚いて飛び跳ねて逃げてしまうが、常温の水に入れて徐々に熱していけば、気づかずに茹で上がってしまうという。俗にいう「茹でガエル理論」だが、新天町商店街は現在、この“茹でガエル”状態になりつつはないだろうか…。

 かつて商店街は、人々の生活を支える重要な拠点であり、日本中で活気の源泉となっていた場所だった。だが、時代の流れのなかで、次第に居住地を含めた都市全体の裾野が広がっていった結果、都市の密度が低下。また一方で、郊外型の大規模商業施設などの登場により、日本中の地方都市における商店街が大打撃を受け、もはや“シャッター通り”と揶揄されるまでに立ち行かなくなっているところも出てきている。

 そうしたなか、新天町では不幸中の幸いというか、福岡という都市が成長を続けてきたなかで、その恩恵を十二分に受けることで、“とくに何もしなくても”自然と人が集まる状況が続いてきた。戦後の復興期に形成された新天町は、たしかに当時においては、人々の回遊動線から運営の仕組みまで考え抜かれた、革新的な商店街だったことだろう。だが、その後は苦労せずとも集客できていたことで、商店街としてのアップデートを怠り、その結果、あまり地域の個性の感じられない、ここにわざわざ足を運ぶだけの魅力に乏しい商店街になってはいまいか。

 福岡市内では新天町以外にも、川端商店街や西新商店街、美野島商店街などの人が多く集まる商店街がいくつかあるが、そのいずれも“博多らしさ”や“リヤカー部隊”“レトロな雰囲気”などの地域の特色や個性を打ち出し、差別化を図っている。

 一方で、新天町のストロングポイントといえば、天神の中心部にあり、西鉄や地下鉄、バスなどの交通結節点の動線上にあるという立地的な優位性だけだ。もちろんそれも新天町の魅力として外せない一要素ではあるのだろうが、そうした外的な要因だけに頼らず、もっと商店街としての個性や魅力を打ち出していくべきではないのか。

 前回の対談にあるように、まさに今は商業の大転換期にある。情報通信インフラが行きわたり、これだけネット売買が普及した現在、何をもって実店舗まで足を運んでもらう動機づけをしていくのか。単なる物販のニーズ(必要性)だけでは、今の時代、人は動かない。「そこに行きたい」と思わせるウォンツ(欲求)こそが、これからは求められてくるだろう。

 現在、新天町の組織内においても、今後の方向性や建替えなどについての検討が進められていると聞かれるが、「何もしなくても人が来る」という立地的な前提は一度捨て置いて、改めて商店街としての魅力を真剣に考えるときではないだろうか。創設期の進取果敢な気概を取り戻し、新たな魅力や価値を付加しなければ、天神における「新天町」の存在感がさらに薄くなっていくのは避けられないだろう。

【坂田 憲治】

関連記事