2024年04月19日( 金 )

【宇美町】人が輝き、地域が輝く 自然と賑わいが融合した町へ

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ
重要な交通インフラ拠点の1つ、JR香椎線「宇美駅」

面積・人口は糟屋郡で3位、炭鉱町からベッドタウンへ

 宇美町は糟屋郡7町のなかで最も南に位置しており、北側が志免町と須恵町、西側が大野城市と福岡市博多区、南側が太宰府市と筑紫野市、東側が飯塚市と隣接している。町の面積は30.21km2と糟屋郡内で3番目に大きく、人口は3万7,347人(2019年6月1日現在)とこちらも糟屋郡内で3番目に多い人口を抱えている。

 町内の東部と南部は山地となっており、町域の約6割を森林が占めている。残る平野部は中央部と北部、北西部に固まっており、福岡市のベッドタウンとして「ひばりが丘」や「四天王寺坂」「桜原」などで住宅地の開発が進行。また、「早見工業団地」「若草工業団地」「ゆりが丘工業団地」と町内3カ所に工業団地を構えるほか、役場周辺では市街地化が進んでいる。

 交通インフラとしては、県道68号線(福岡太宰府線)、県道35号(筑紫野古賀線)、県道60号線(飯塚大野城線)と3つの県道が町を貫く“大動脈”として機能しているが、とくに交通量の多い68号線では渋滞が慢性化。一方で、町内の鉄道路線としてはJR香椎線の宇美駅を有する。単線であることに加え、博多駅までは途中で長者原駅での乗り換えの必要があるため所要時間約35分程度と少々の不便さは否めないが、それでも町にとっては重要な交通インフラの一端を担っていることは間違いない。

安産の神さまとして信仰される「宇美八幡宮」

 町の歴史は古く、西暦665年に築城された日本最古の古代山城「大野城跡」を始め、魏志倭人伝の記載にも関係があるとされる「光正寺古墳」など、町内には多くの史跡が残されている。なかでも特筆すべきは、町のシンボルであり、町名の由来にもなっている「宇美八幡宮」である。同神社は、神功皇后が三韓征伐からの帰途に応神天皇を産んだ地とされ、「宇美」の地名も「産み」に由来するもの。鎌倉時代初期から安産の神さまとして信仰されるようになり、“子安の杜”として現在も多くの参拝客で賑わっている。

 近世では大正時代の1920年10月に町制施行され、宇美町としてのスタートを切った。当時の同町の主要産業は稲作を中心とした農業だったが、その後、鉄道や船舶などの輸送用燃料などの石炭需要の増大により石炭産業が勃興。石炭の輸送と宇美八幡宮参拝客の輸送のために国鉄・勝田線(当初は宇美線)が整備されるなど、同町でもその恩恵を受けていた。

 だが、高度経済成長政策とエネルギー革命による石炭産業の衰退にともない、63年に三菱勝田鉱業所が閉山されると、同町は炭鉱の町としての歴史に幕を閉じ、以降は道路網の整備進行と福岡市との近接性によってベッドタウンとしての道を歩むことになる。一方で、ボタ山の跡地などを工業団地へと整備するとともに、企業や工場の誘致にも注力。金属や機械、家具、食品加工など、軽工業を中心とした工場が軒を連ねている。

人口減少下での政策は地域コミュニティに焦点

1期工区が開通した都市計画道路「志免宇美線」

 木原町長のインタビューでも触れたように、現在町内において進んでいる重要な開発案件は、何といっても都市計画道路「志免宇美線」の開通に向けた整備だ。志免宇美線は志免町と宇美町にまたがる全長約4.5km・幅25mの道路で、渋滞が慢性化している県道68号線のバイパス的な機能を期待されて計画されたもの。現在、宇美町内の1期工区(約1.1km)が整備済みで、次は志免町域(約0.8km)と宇美町域(約0.8km)からなる2期工区の整備が控えている。

 すでに開通している1期工区では、まだ十分ではないながらもバイパス機能を発揮。今後、全線開通に向けての整備が進行するにつれて、沿線での開発も進んでくるとみられ、このエリアに新たな市街地や工業団地なども形成されていきそうだ。

 なお、福岡都市圏の一角に位置し、糟屋郡内でも3番目に多い人口を有するなど、現在はベッドタウンとしての性格が強い宇美町だが、同町の人口動態は緩やかながらも徐々に減少傾向にある。国立社会保障・人口問題研究所による「日本の地域別将来推計人口(平成30年推計)」によると、同町の人口は2025年に3万5,724人、35年に3万2,662人と緩やかに右肩下がりで推移し、45年には3万人を割り込むところまで減少することが予想されている。

 ただし、すでに日本全体が人口減少局面に入っている以上、こうした現象は同町に限ったことではない。今後はそんな人口減少局面を受け止めつつも、そのなかでいかに“らしさ”を発揮したまちづくりを進めていくかが問われることになる。

 そんな宇美町では現在、15年に策定した「第6次宇美町総合計画」に基づいたまちづくりが進められている。同総合計画では町の将来像を「ともに創る 自然とにぎわいが融合したまち・宇美」と定め、19年度から22年度にかけての3カ年の「後期実践計画」では3つの重点目標を設定。

 そのなかで“一丁目一番地”に掲げられているのが、前項のインタビュー時に木原町長が再三にわたって訴えていた「地域コミュニティの活性化」―つまり、地域の連携や郷土意識の継承による、住み良さと豊かさの感じられる魅力ある地域コミュニティの形成である。人々の意識や価値観が“ハード”から“ソフト”へと移行しつつあるなかで、こうした地域コミュニティに焦点を当てた町の政策は、今後の大きなストロングポイントとなっていくだろう。

 来年2020年10月20日にはいよいよ町制施行100周年を控える同町は現在、「見つめようこの百年、うみ出そう次の百年。」のキャッチフレーズの下、次なる100年に向けてのまちづくりを進めようとしている。豊かな自然や多くの歴史的・文化的資源を有し、何よりも“人”や“地域”という町にとっての唯一無二の財産をより良くしていこうとする宇美町のこれからに期待したい。

【坂田 憲治】

関連記事