2024年04月25日( 木 )

天王洲をブランディング 倉庫街からアート街へ(前)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

寺田倉庫(株) 執行役員・不動産担当 田嶋 拓也 氏

 かつてのオフィス街中心の街から、近年では若手芸術家などが多く訪問する街へと変貌を遂げている天王洲地区。この地で創業し、周辺企業や居住者をも巻き込むかたちで、「水辺とアート」をテーマに同エリアのブランド戦略を描いてきた“立役者”が寺田倉庫(株)だ。もともとワインや美術品の保管などでは高名な企業であった同社が、天王洲をアートの街としてブランディングする狙いはどこにあるのか。

 同社執行役員・不動産担当(天王洲・キャナルサイド活性化協会理事)の田嶋拓也(たじま・たくや)氏に話を聞いた。

 

田嶋 拓也 氏

寺田倉庫の歴史は天王洲とともに

 ――寺田倉庫と天王洲開発の歴史からお願いします。

 田嶋 戦後間もない今から69年前、寺田倉庫(株)は天王洲で創業しました。当時は国指定の米倉庫を手がけていました。1985年に東品川2丁目地権者による「天王洲総合開発協議会」が設立され、再開発に動き出しましたが、寺田倉庫はその後のバブル崩壊の影響により、建替えだけでなく、既存の物件を生かした用途転換によるまちづくりをしてまいりました。

 90年代後半には、数々の倉庫がオフィスやスタジオへとコンバージョンされました。弊社の物件としては、古くなった1号倉庫を97年にクラフトビールの醸造所を併設するレストラン「T.Y.HARBOR」へとコンバージョンしました。天王洲は創業の地であり、どう生き残っていくかを考えていくうえでは、天王洲の価値を高めていくことが肝要です。単純な地価としてだけでは、都内一等地との競争には勝てません。幸い天王洲は、水辺とアートに囲まれた特別な空間であるため、その分野を充実させていきたい。引き続き、「水辺とアート」にフォーカスした事業を強化してまいります。

(C)Tennoz Art Festival 2019 photo/Shin Hamada
(C)Tennoz Art Festival 2019 photo/Shin Hamada

 ――寺田倉庫が、天王洲をアート街としてブランディングできたのはなぜでしょう。

 田嶋 弊社は倉庫業としては後発ですし、大規模物流を担う規模でもなかったことから、個人向け事業に特化したニッチな倉庫会社として存在感を高めておりました。たとえば、当時の建設省(現・国交省)の「認定トランクルーム」第1号を取得するなど、個人向けの預かりサービスなどにも注力していました。

 温湿度といった環境変化に強い倉庫として徐々に認知度が上がり、個人向けのワインセラーでも評価をいただきました。その後、ワイン保管サービス業務から進化し、美術品や骨とう品の保管サービスへの展開に業務拡大しました。倉庫会社としては、決して大規模ではありませんが、商材に合わせた温度・湿度・セキュリティ管理などの機能を担保するところに力を入れていました。

 さらに前代表・中野善壽氏の方針もあり、アート関連事業の拡充とアートを主軸としたブランディングを実施することになりました。

(C)Tennoz Art Festival 2019 photo/Shin Hamada

(つづく)
【長井 雄一朗】

<Company Information>
代表取締役社長CEO:寺田 航平
所在地:東京都品川区東品川2-6-10
設 立:1950年10月
URL:https://www.terrada.co.jp/ja

▼関連リンク
天王洲水辺のまちづくり アートを感じる街並みの歴史(前)

(後)

関連記事