2024年04月25日( 木 )

【凡学一生のやさしい法律学】関電報告書の読み方~関電疑獄を「町の法律好々爺」凡学一生がわかりやすく解説(4)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

 つまり、関電の取締役会は機能不全となってしまった。かかる場合、虞犯取締役は辞任する他なく、また、関電は直ちに仮役員の選任を裁判所に申請し、適法な取締役で構成された取締役会により、緊急の不祥事処理に対応すべきであった。これを進言するのが監査役・監査役会、そしてコンプライアンス委員会の責務である。

 法匪らは、虞犯取締役はあくまで虞犯にすぎず、裁判で有罪にならない限り「無罪の推定をうける」とする「違法判断と有罪判断のすりかえ論理」で、虞犯取締役の業務遂行を正当化する。取締役の不正行為について、いちいち裁判の結果を得てしか不正の判断ができないとする論理がいかに不条理かは論を待たない。正式な裁判によって、厳密な意味で、当該虞犯取締役が賄賂罪の有罪確定判決を受けるまで虞犯関連の業務遂行ができると解釈することがいかに暴論であるかは多言を要しない。

 各取締役は会社との委任契約により固有の違法判断権(つまり不正認定権限)を有する。それは確定判決を受けてからしか行使できないという制限などどこにもない。つまり、日常生活における普通の事理弁別による違法判断の権限を有する。それに従って、虞犯取締役の違法性を判断する。この判断は世間一般の違法との見解・判断と一致することは理の当然である。従って、世間の普通の事理弁別を有する人々が虞犯取締役の本件行為を違法と判断すれば、虞犯取締役は違法と認定される。(違法性認識の通有性普遍性)

 従って、関電取締役会の本来の姿は、クリーンな取締役によって虞犯取締役を除外した取締役会を構築し、その取締役会が贈収賄事件の対応(調査の着手や第三者への調査委託)をすべきであった。本件の内部調査委員会や第三者委員会への委託そのものが違法な業務執行行為であることは明白である。市民は誰もこのような正確な法的思考はできないが、虞犯取締役らが中心となって、自らの犯罪行為を内部調査委員会に調査を命じたり、その報告があまりにもデタラメのため、今度は外部の第三者委員会に調査を委託しても、その人選が虞犯取締役らである矛盾には誰しも気付いている。

 違法性の判断は日本国民だれしもが有する条理的・経験法則上の判断である。それと類似しているが、まったく異なるのが裁判官による有罪認定である。この国民の条理的・経験法則に基づく違法判断と裁判官の有罪認定とが不一致の場合が、「裁判官の非常識」の問題である。この問題の本質は日本の裁判官が民主的制度により選任されていないこと、裁判官の任免に最終的に主権者国民が関与する制度が存在しないことが根本的理由である。

 それはとりもなおさず、日本は真の意味での三権分立国家ではなく、君主制明治憲法下の三権分担国家制度が継続していることを意味する。ここでもその不都合な真実(分立と分担の違い)は隠蔽されてきた。

 法匪らがこの違法認定と有罪認定のすり替え論を弄していることは明白である。本件ではすでに虞犯取締役らは単純収賄罪の構成要件に該当する不正行為を行っており、虞犯取締役らが不正取締役であることは明白である。単に罰条が存在しないだけである。

 結局、3名の弁護士はこの根本的な重要問題に頬かむりして、何食わぬ顔をして同書(内部調査報告書)を作成し、取締役会の法的機能不全を隠蔽した。法令遵守担当職員がこれであれば、関電に正常な法秩序・法令順守など存在しえない。このような大局観をもって以下、同書の「読み方」について解説する。

(つづく)

▼関連リンク
関西電力の隠蔽体質は不変~渡された菓子折り、底に金貨(前)
日本文明の恥~関電疑獄事件
関電疑獄(1)~裏切り防止の「毒饅頭」

(3)
(5)

関連記事