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2019年10月29日 07:00

珠海からの中国リポート(10)

福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

電脳社会

 中国にきて驚くのは、日本語が達者でいながら、正規の勉強はしたことがないという人に頻繁に出会うことだ。どうやって日本語を覚えたのか?アニメをパソコンにダウンロードし、飽かず見続けた挙句、最初は「かわいい」とか「ヤバい」などの単純な語を覚え、やがては複雑な表現までマスターするに至ったという。

 先日もある書店に入って、そういう店員に出くわした。帰り際に思わず「どんなアニメが好き?」と質問すると、迷わず「攻殻機動隊」という答えが返ってきた。中国でも人気があるのか、と一瞬びっくりした。というより、胸が躍った。

 押井守のこのアニメ、日本でよりも海外での評価のほうが高いようだ。フランスでは「現代の形而上学」といった評価を受け、アメリカでもアニメ好きは高く評価している。画像が美しい以上に、物語のメッセージが受けるようだ。

 十数年前、人に薦められて士郎正宗の原作を読んだ。アニメの華麗な画像もすばらしいが、原作のマンガの冒頭に「まだ国家というものが存在している時代」といった文句があったのが忘れられない。未来世界においては国家が消滅する、と暗示しているのだった。

 物語では、公安警察がすべての機動隊員の脳を電子的に統御している。それでも個々の存在には意識レベルでの自由があり、その自由は個々の存在の「記憶」によって保障されている。身体は人工的につくられ、脳も電脳化されているサイボーグであるが、それぞれ異なった「記憶」をもつことで、アイデンティティーが保たれているのだ。

 このマンガのタイトルを中国で耳にしたとき胸が躍ったと書いたが、それは、この中国こそ「電脳社会」を実現していると思っているからだ。電脳社会は「非人間的」だろうか。「恐ろしい」だろうか。そんなことをいう前に、人類の到達点の1つとしてこれを落ち着いて吟味してはどうか。私はそう思っている。

 電脳化は世界のあちこちで起こっている。中国が例外ではない。「個人情報の保護」を叫んでいること自体、すでに個人情報が公共化されていることを裏書きしていると思われる。手書きでなくなり、電子媒体にすべての情報が書き込まれた瞬間、それは全世界のものとなる。それは情報の散乱であると同時に、情報集約システムへの情報の供与なのだ。そして、それら散乱する情報を瞬時吸入しているのが私たちの脳である。脳は自律性を失い、電脳化され、電脳の中枢部に制御されていく・・。

 中国はその方面で非常に進んでいる。日に日に、スマートフォンでの買物、取引、業務連絡が増えている。これは国家戦略であって、国民は統制されているのだという見方は、一見当たっているようで、それ自体「前近代的」な代物なのではないか。現在、どの国も情報管理を最大の業務と位置づけており、国家戦略としての電脳化は必須事項となっているはずである。

 中国が電脳社会の徹底化を目指している最大の理由は、「一帯一路」計画同様、アメリカ型世界戦略に対抗するためである。これを裏返せば、アメリカこそは最初に国家戦略として電脳化を始めた国であり、それに成功したからこそ、現在の地位があるということなのだ。中国はそれに対して「待った」をかけようとしている。もちろん、それによって国内の情報管理も徹底するのだから、一挙両得である。

 ひるがえって、日本はどうだろうかと思ってみる。もちろん、電脳化を進めてはいる。とはいえ、電脳化よりも「電視化」というべきだろう。なんとなれば、「電視」とは中国語でテレビのことで、日本人の場合は情報をヴィジュアルに処理することが得意なので、テレビの役割が大きいのだ。政府はテレビ放送の管理さえしておれば、社会は安泰、政治運営は容易となろう。

 「攻殻機動隊」は国家間の戦争を問題にしている。それぞれの国家はほかの国家の情報をハッキングすることで、他国を滅ぼそうとする。従って、ハッカーの存在は否応なしに大きい。国家戦略の最先端にあり、高度な電脳をもつ彼らこそは、時代社会の英雄ともなり得るのだ。だが、ハッカーといえども、記憶を持つ限りにおいて自己をもち、最低限の意識の自由を保有する。国家が最優先なのか、意識の自由が最優先なのか。そこが士郎=押井作品の最大の焦点である。

 そこまで来れば、電脳から記憶装置を取り外すという発想も出てくる。それができないのは、電脳が細部と細部が緊密に連絡しあっている一大ネットワークなので、一部の装置をそこから削除すれば全体が機能しなくなる危険があるからだ。20世紀になって、大脳前頭葉の一部を切除することで鬱病を治そうとする手術が試みられたが、結果は失敗だった。一病を除去して、他病を生んだ。

 「攻殻機動隊」の思想はその意味で正しい。だからこそ、世界中の人々を惹きつけている。「記憶のかけがえのなさ」というと古めかしく聞こえるが、古めかしいものが正しくないとは限らない。

(つづく)

<プロフィール>
大嶋 仁 (おおしま・ひとし)

 1948年鎌倉市生まれ。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。 75年東京大学文学部倫理学科卒業。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し、名誉教授に。

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