2024年04月19日( 金 )

芸術・文化のまち復権へ 副都心・池袋の再開発(前)

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 2014年5月、豊島区は東京23区で唯一「消滅可能性都市」であると指摘されたことで、衝撃が走った。「池袋にあれほどの賑わいがあるのに、そんな馬鹿な話はない」という声もあったが、一方で豊島区は危機感を抱き、まちづくりに本腰を入れた。

田園から交通の要衝へ

1963年ごろの池袋駅東口。左に西武百貨店
1963年ごろの池袋駅東口。左に西武百貨店

 明治時代の池袋周辺は、旧中山道、染井通り(駒込周辺)、雑司谷道(雑司ヶ谷村、池袋村)などの沿道で集落が形成。だが、それ以外は水田や畑、雑木林などが広がっているだけで、とても現在の賑わいが想像できるような地域ではなかった。

 1903年、豊島線「池袋~田端間」が開通し、池袋駅が誕生。当時の池袋駅周辺は、武蔵野の面影を残す田園地帯で、木造駅舎のほかは主だった建物もなかった。09年の地形図を見ると、池袋周辺での大規模な土地利用は、学習院や巣鴨監獄などの数カ所のみ。学習院は現存しているが、巣鴨監獄は戦後に巣鴨プリズンと名称を変え、戦犯を収納する役割となった。駅開業当時、池袋駅の年間乗降客数は5万人程度だった。

 大正初期に東上鉄道(現・東武東上線)や武蔵野鉄道(現・西武鉄道池袋線)が開業。池袋の利便性はさらに高まり、郊外と連結する鉄道路線の現在の姿がほぼ形成された。大正後期になると池袋駅から巣鴨監獄にかけ、市街化が顕著になる。18年には立教大学が築地から池袋に移転し、21年には自由学園が創設され、学生も集まるようになった。

 このころ、池袋駅東口に存在した丘陵地「根津山」を開削。護国寺方面を結ぶ道(現・グリーン大通り、日の出通り)を整備し、数年後には市中心から市電が入るようになった。

芸術街でもあった池袋

 昭和初期には、池袋近辺の長崎、千早、要町には100を超えるアトリエが立ちならび、多くの若い画学生が居住していた。ここに住んだ芸術家たちは、この地域を“アトリエ村”もしくは“パルテノン”(フランス語で宮殿の意味)と呼び、当時の著名な詩人・小熊秀雄氏は、パリにたとえて「池袋モンパルナス」と名付けた。戦争や宅地化により、多くのアトリエはその後消滅したが、池袋が文化都市を目指すDNAの源流を探ることができる。

 このころ、現在の明治通りや川越街道、春日通り、中山道などの環状・放射状の幹線道路を中心に本格的な道路整備が進められ、戦前までに豊島区の骨格的な幹線道路網が形成された。当時存在した谷端川や弦巻川などの河川は、暗渠となった。

豊島区役所
豊島区役所

 戦時中は池袋周辺も焼け野原になったが、交通の要衝であったため、焼け跡には戦後、バラック建てで長屋式の商店街や露店がつくられ、いわゆる「闇市」が形成。池袋東口の闇市は、51年までに駅前整備の計画とともに姿を消した。池袋駅周辺では戦災復興土地区画整理事業が行われ、80年までに道路・公園の基盤が整備された。

 広域的な道路網は69年に首都高速5号線(都市高速道路5号線)「池袋~音羽間」が、77年には同線「池袋~高島平間」がそれぞれ開通。78年には巣鴨プリズン跡地にサンシャインシティが誕生した。90年に東京芸術劇場が開業、92年にはメトロポリタンプラザが開業するなど、池袋駅周辺の土地活用が進んだ。

 池袋駅は現在、JR(山手線・埼京線・湘南新宿ライン)、東京メトロ(丸ノ内線・有楽町線・副都心線)、西武池袋線、東武東上線の8路線が乗り入れている。また、2013年には東急電鉄東横線・みなとみらい線との相互直通運転の開始により、埼玉から池袋そして横浜までの直通運転が実現した。

 こうして副都心の地位を確立した池袋。だが、まちづくりの観点からすれば、サンシャインシティなどの竣工後は停滞していた。池袋のまちづくりが動いた大きなトピックスが、15年に竣工した豊島区役所の新庁舎移転だ。総事業費約435億円をかけたが、税金を一切使わないことで大きな話題を呼んだ。

旧区庁舎を再開発

中池袋公園から工事中のHareza池袋を望む (事業者:東京建物、サンケイビル、鹿島、豊島区。延床面積約8万7,900m2)
中池袋公園から工事中のHareza池袋を望む
(事業者:東京建物、サンケイビル、鹿島、豊島区。延床面積約8万7,900m2

 旧豊島区庁舎跡地、豊島公会堂跡地の再開発「(仮称)豊島プロジェクト」によって、豊島区が整備する「としま区民センター」を含め、ミュージカルや伝統芸能を公演するホールや、アニメ、サブカルチャーを楽しめる空間など、個性の異なる8つの劇場を備える新複合商業施設「Hareza(ハレザ)池袋」が誕生する。11月1日には、ハレザ池袋の中核である多目的ホール棟「東京建物 Brillia HALL(ブリリアホール)」が先行オープン。同時に、内包施設となるライブ劇場「ハレブタイ(harevutai)」、スタジオ「ハレスタ」、エントランス部分に位置する「パークプラザ」も同時にオープンした。オフィスや商業施設を含む全体のグランドオープンは20年7月を予定している。

区役所新庁舎の前を通過する予定で工事中の環状第5の1号線
区役所新庁舎の前を通過する予定で工事中の環状第5の1号線

 周辺の道路インフラ整備も進められている。新庁舎前を通過する「環状第5の1号線」(東京都建設局)は、渋谷区広尾~北区滝野川に至る全長約14kmの都道で、19年度末の完成を目指している。現在、池袋駅東口の駅前には明治通りが通り、クルマの交通が集中し交通混雑が慢性化。環状第5の1号線が開通すれば、クルマの動線が移動することが予想されている。

 豊島区では11年に「池袋副都心交通戦略(池袋の交通のあり方を考える)」を策定し、歩行者優先のまちづくりを進めてきた。豊島区の担当者は「今後は明治通りの混雑も緩和され、池袋駅東口周辺は歩行者優先のまちになっていきます」と期待を寄せる。

池袋駅東口

(つづく)
【長井 雄一朗】

(後)

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