2024年04月20日( 土 )

【伊藤博敏のニュースwatch】ゴーン逃亡で露呈した刑事司法の歪みと課題(中)

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 問題は、そうしたゴーン被告の不正に、西川広人CEOを始め日産幹部も直接、間接のかたちで関わっていたこと。それを逃れるために日産は、検察と協議を進め、18年10月の段階で外国人専務執行役と元秘書室長というゴーン被告の側近中の側近が、18年6月に施行されたばかりの「司法取引」に応じることになった。2人は、ゴーン被告の刑事告発に協力する見返りに刑事責任を減免され、不起訴処分に終わった。

 これには検察の思惑も反映していた。10年に厚生労働省元局長の村木厚子さん(その後事務次官に)が無罪となって冤罪が確定した事件で、大阪地検特捜部が証拠を改ざんしていたという前代未聞の不祥事が発覚した。以降、「政官財」の重要犯罪を摘発する役割を担った地検特捜部は、捜査体制の見直しを余儀なくされ、「特捜改革」の名のもと自粛期間に入った。

 「政官財」の不正追及より、捜査体制の見直しが急務とされ、密室での捜査が冤罪を生むとして、取り調べの様子を録音録画する「可視化」が実行されることになった。同時に、特捜検察が描く事件のシナリオ通りに被疑者を供述させる調書至上主義が見直され、それが導く「シナリオ捜査」に制限が加えられた。その改革の間、特捜部は手足を縛られ、思うような成果を上げられず、「特捜冬の時代」を過ごした。

 だが、法務・検察は、「最強の捜査機関」といわれる地検特捜部の捜査手法に制限が加えられ、武器を取り上げられるのを黙って見ていたわけではない。大阪地検事件後、法制審議会が「新時代の刑事司法制度特別部会」で捜査・公判の在り方を抜本的に見直すことになり、刑事訴訟法は改正された。その際、従来の捜査手法を封じる見返りに与えられたのが、「司法取引」の導入と通信傍受法の改正だった。

 ここで、日産と経済産業省と検察の思惑が合致する

 「特捜のエース」と呼ばれる森本宏特捜部長は、導入されたばかりの司法取引を使って、世界に名高いカルロス・ゴーン被告を逮捕したかった。西川社長を始めとする日産経営陣は、ルノー傘下に組み込もうとするゴーン被告を排除したかった。経産省=日本政府は、日産―三菱自動車連合というトヨタ自動車と並ぶ業界の中心勢力を、外国に譲るわけにはいかなかった。三者の思惑が合致したところで国策捜査となった。

 刑事司法制度は、国それぞれによって違い、事件が大きくなればそこには必ず国家の思惑が絡む。従って、ゴーン事件が司法制度改革という日本の事情のなかで始まり、国策によってゴーン逮捕に至ったとしても、それ自体は批判されるべきではない。「司法取引」は多くの国で採用されている。

 ただ、グローバル化は人権の観点から統一的な被疑者・被告の取り扱いを求めており、日本の司法がかねて批判されていたのが、取り調べの際、弁護士の同席を認めない捜査手法と、否認すれば何年でも保釈を認めない「人質司法」だった。前述の法制審議会の特別部会では、否認のために164日も勾留された村木さんも委員となっており、「人質司法」の問題は十分、意識されていた。

 だが、ゴーン事件では、その歪みが修正されることはなく、取り調べに弁護士は同席せず、内外の評判を気にした裁判所が、一度は保釈を認めたものの、それに反発した特捜部が再々逮捕、勾留日数は108日におよんだ。

 こうした取り扱いに、ゴーン被告が国籍を持つ仏、レバノン、ブラジルの3国が、各国のメディアに呼びかけるかたちで日本の「司法の歪み」を指摘、攻撃を仕掛けた。19年1月、仏政府はゴーン被告をルノーCEOのポストから外し、6月にはルノーでも不正支出があったとして刑事告発するが、当初は、ルノーを守るという意味でのゴーン擁護派だった。

 確かに、ゴーン被告が置かれた日本の環境は、仏の刑事司法の現状とはかけ離れている。否認の場合、長く接見禁止処分が続き、弁護士と大使館関係者以外は家族ですら面会できず、取り調べに弁護士は立ち会えず、勾留期間は最長で23日間におよぶ。その間、ゴーン被告は東京・小菅の3畳の独房(後に多少は広いベッド付き個室に移される)に入れられ、食事休憩と就寝を除いては、連日、過酷な取り調べを受けた。

 仏では、殺人、レイプ、放火など再犯の恐れがある重犯罪はともかく、経済犯や汚職などの知能犯的事件は、勾留期間は最長でも96時間(4日間)と決まっており、取り調べには弁護士が同席、検察資料は開示され、家族との接見も可能だ。

 サルコジ元大統領が好例。リビアの故・カダフィ大佐からからの不正献金、捜査をめぐる不正情報提供など数々の疑惑を指摘されているサルコジ氏は、ゴーン事件直前の19年3月、逮捕されて48時間の取り調べを受けた。その結果、予審判事はあっせん収賄などの罪で訴追、裁判を開くことを決定したが、サルコジ氏は取り調べ後に保釈され、自由の身である。

(つづく)
【伊藤 博敏】

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