2024年03月29日( 金 )

ストラテジーブレティン(260号)ポスト安倍は「安倍」~安倍政権の歴史的貢献と日本政局~(中)

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 NetIB‐Newsでは、(株)武者リサーチの「ストラテジーブレティン」を掲載している。今回は2020年8月31日付の記事を紹介。


 市場の最前線での40年にわたる観察者の立場から、安倍政権が成し遂げた偉業は特筆に値する、と考える。数十年後の歴史家は、安倍政権時代を日本の新たな発展の土台をつくった画期的な時代として記すだろう。
 数多くの功績を枚挙にいとまがないが、(1)外交機軸の再設定、(2)デフレ脱却と経済成長軌道の設定、(3)未完ではあるが、行政、企業統治、働き方などの諸改革、の3つが特筆される。

(2)最強のデフレファイター、だが財政健全化路線に足をすくわれる

アベノミクスを打ち出した見識

 デフレ脱却、失われた20年を終わらせたのも、安倍氏の業績である。日本の長期経済停滞の原因は、前項の地政学要因に加えて、誤った財政金融緊縮政策にある。

 バブルつぶし、信用抑制、財政節度というマクロ的緊縮政策が2000年から12年まで続いた。筆者は03年に、高名なジャーナリストと安倍晋三官房副長官の案内で小泉首相に面会し、「名目経済成長を高めるためのインフレ政策が必要です」と建言したことがある。この時、改革者と思われていた小泉首相は、「インフレはダメだ」と一刀両断に切り捨てた。

 財務省の財政再建キャンペーンにすべての学者、政治家、メディアが洗脳され、積極的マクロ政策の必要性を議論する雰囲気はまったくなく、民主党政権になってそれは一段と強まった。2000年代から続いていた日本病、デフレ進行、世界最低の異常な低金利の意味するところは、需要不足と貯蓄余剰である。このデフレ政策が円高を加速し、日本の産業競争力は壊滅寸前(ハイテク中枢産業は壊滅)にあった。

安倍なくしてデフレ脱却はなかった

 13年に安倍政権が誕生し、このデフレ政策体系が始めて根本転換されたのである。大半の学者、エコノミスト、メディアが反対するなかで、浜田宏一氏を内閣参与に迎え入れ、高級官僚中で唯一デフレ政策を批判していたアジア開発銀行総裁であった黒田氏を日銀総裁に迎え入れ、「大胆な金融緩和、財政出動、改革」を3本の矢とするアベノミクスを打ち出したのである。

 安倍政権は後半になると、安倍氏の意に反して、デフレ派の反撃により2度にわたる消費税増税、財政均衡路線回帰(プライマリー財政収支の黒字目標)により経済と株価は息切れしたが、経済政策軸の大転換をたった1人で成し遂げたことに驚いた。

 09年以降、武者リサーチは積極的マクロ政策と円高阻止の金融政策を強く訴え続けたが、孤軍奮闘の感が強かった。13年以降、株高、雇用拡大、名目GDP上昇と経済パフォーマンスは大きく改善した。アベノミクスがなくても、世界経済拡大という循環環境の下で景気は良くなっていたはずだという論者がいるが、それは間違いである。

 図表2に示されているように、09年~12年まで、欧米株価がボトム比2倍前後の上昇を遂げていたとき、日本株はリーマン後の最安値近辺で低迷していた。民主党政権と白川日銀総裁の体制の下での円高デフレ政策が主因である。たとえば、東日本大震災の直後には、日本支援のためのG7為替協調介入がなされ、為替水準是正の絶好の環境が整ったが、この好機を生かせなかった。 

 図表3は円レートとG7協調介入の推移であるが、過去6回の協調介入のうち5回は為替トレンドの大転換をもたらした一方で、11年3月の東日本大震災直後の協調介入はトレンドを転換できないばかりか、さらなる円高がその後2年にわたって継続した。QEによりバランスシートを大膨張させてリフレ政策を加速した米連邦準備理事会(FRB)、欧州中央銀行(ECB)に対して、日銀がまったくの無策であったためである。

 この結果、11~12の2年間にさらなる超円高により、エルピーダメモリの破綻、シャープ、パナソニック、ソニーの液晶やテレビの衰弱、など、ハイテク産業の競争力は最後の一撃を受けた。

 このツンドラのように日本に蔓延し、日本人のアニマルスピリットを奪っていたデフレマインドを払しょくさせたのは、安倍氏の功績である。安倍政権の7年半の間に、2%のインフレ目標には届かないものの、デフレは終焉し、株価は2.24倍となり、コロナ危機のさなかですら6月失業率は2.8%と大幅な雇用増加を実現した。

(つづく)

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