2024年04月26日( 金 )

西戸崎へのアメリカ系IR誘致により住民が住み続ける元気なまちへ

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IR誘致促進委員会会長・志賀商工会会長
井上 準之助 氏

 福岡市へのIR誘致の特徴として、民間組織が主体となって誘致活動を行っていることが挙げられる。彼らを突き動かすのは、アメリカ系IRを誘致して西戸崎のまちに、かつて米軍基地があったときの元気を取り戻したいという思いだ。西戸崎で生まれ育ち、誘致活動の中心的役割を担っている井上準之助氏に話を聞いた。

アメリカをまちの核に

 ――福岡IR(カジノを含む統合型シティリゾート)構想に関わるようになったのは、いつごろからでしょうか。

井上 準之助 氏

 井上 私が直接関わり始めたのは、昨年の秋口からです。昨年5月、米国の調査会社が調査のために「海の中道海浜公園」に来ていたものの、当初はカジノのための調査ということは伏せられていました。私も彼らの訪問を受け、「西戸崎にはかつて米軍の基地が置かれ、米国風のまちなみがあった」ことや、「マリリン・モンローも訪問したことがあるという歴史を軸として町おこしができないか考えている」――などのお話をしたところ、「面白い」という反応が返ってきました。地域住民の米軍に対する印象も聞かれましたが、「年配の人ほど、基地があったことでにぎわっていたという印象をもっている」と伝えました。

 IRを福岡に誘致する構想を最初に聞いたときは、「国営公園のなかにカジノ施設を建設できるのか?」と半信半疑でした。一方で私は、この西戸崎のまちに元気を取り戻すために、何か核になるものがほしいという思いをずっと抱いていました。中華系ではなくアメリカ系のIRであれば、もともとアメリカがあったこの西戸崎のまちは受け入れやすく、またアメリカの文化を招き入れてそれをまちの核にできると考え、構想に賛成するようになりました。

 というのは、西戸崎にはかつて米軍基地「キャンプハカタ」があり、最盛期にはスタンドバーも40軒近くあったほどです。多くの日本人が米軍関連の仕事をしていました。私の父親はキャンプハカタの食堂でコックとして、母親は米軍ハウスでメイドとして働いていたこともあり、私もアメリカのものに囲まれて育ち、アメリカに憧れをもっていました。子どものころの私の眼には、軍人と住民とが仲良く共生していた姿が焼き付いています。

 米軍と神社は一見関係がなさそうですが、当時、多くの米兵が志賀海神社を参拝していました。同神社の宮司の安曇氏も当時米軍と交流して良い印象をもっており、IR誘致にも協力的です。

キャンプハカタ

 ――上申書の提出まで、皆さんの動静を伝える報道が見られませんでした。

 井上 市民からマイナスイメージをもたれるのを避けるため、具体的な方向性が定まるまでは少人数で表に出さずに構想を練ったほうがよいと考えたのです。

 誘致実現のため、福岡市長に誘致の要望を出すということに決めました。とはいえ、私にはそのような要望を出した経験はなく、資料を見ることのできる人、市政につないでくれる人などが必要となりました。そこで監査法人から独立した藤浦氏を紹介してもらったほか、福岡青年会議所(JC)がIR誘致に積極的であることを知り、前理事長・岩木氏に相談をしました。主なメンバーは商工会、JCのほか、不動産コンサル会社などです。西戸崎、志賀町を元気にしたいという気持ちはメンバー全員が共有しており、「キャンプハカタ」プロジェクト、「西戸崎アメリ化」実行委員会と呼んでいます。

 上申書を提出するに際して、福岡市長以外にも提出するということになり、同市議会、(一社)九州経済連合会、福岡市商工会議所、駐福岡米国領事館、国土交通省九州地方整備局などにも上申書を提出しました。概ね良い感触でした。ただ、なかには長崎県のIR構想に対してすでに支持を伝えている組織もあり、福岡でのIR構想に対して表立って賛意を示すことができないというケースもありました。

若い住民が残るまちに

 ――IR誘致を通して、今後、どのようなまちにしたいとお考えですか。

 井上 若い住民が残るまちにしていきたいという思いを強くもっています。アメリカ系IRを招き、いわば1960年代の古き良きアメリカのまちの雰囲気を再現することにより、当時のアメリカの文化が好きな日本人を惹きつけられると考えています。西戸崎で商売・事業を行っている家庭の子どもが仕事のために市内中心部に出て行くのではなく、このまちで自身のやりたいことを見つけて挑戦できるように、残りたいと思えるまちにしたいと思っています。

 スポンサー候補として大手企業とも協力について話し合うなかで、海の中道海浜公園内に少年野球の国際試合を行えるような球場などのスポーツ施設、テーマパークを建設することについても話しており、同公園の活性化にもつながるのでは、とも考えています。隣の志賀島は観光資源に恵まれていますが、ポテンシャルを活かしきれていません。「アメリカがあったまち」を再現することにより、この西戸崎のまちの歩み方が変わっていくと考え、取り組んでいきます。

「僕の街にはアメリカがあった」写真展

【茅野 雅弘】


<プロフィール>
井上 準之助
(いのうえ・じゅんのすけ)
1955年、福岡県糟屋郡志賀町西戸崎(現・福岡市)生まれ。77年から「美容室BOY」を引き継ぎ経営。地域の青年団長、消防分団長、中学校PTA会長などを経て、2012年から西戸崎公民館長、18年から志賀商工会長を務める。19年から福岡IR誘致に尽力している。

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