2024年03月29日( 金 )

【凡学一生のやさしい法律学】詭弁の論理学(6)

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 詭弁は、確実に日本の民主主義を破壊している。日本に真の民主主義を実現させるためには詭弁の存在形式を理解し、詭弁を少なくとも日常の社会生活から排除しなければならない。詭弁の論理学は、今の時代にもっとも必要な社会知見である。詭弁はわかりやすくいえば「うそ」であり、「うそ」が蔓延する社会がまともな社会である筈がない。

7. 定性的概念と定量的概念の故意の混同

 「不適切であるが違法ではない」という迷言は近年、ヤメ検によって創作された詭弁である。普通の人には概念的理解ができないため、不適切の場合には違法ではないから、先に事案について不適切がどうかを判断して、不適切であると認識してもそれは違法ではないといえると錯覚してしまう。すると違法なものは論理的に、不適切ではなくなる。こんな馬鹿げた結論を導き出すから、ヤメ検の発案した迷言は、確実に詭弁であることが理解できる。そこでこの詭弁の類型的本質を考えた場合、それは「不適切」概念と「違法」概念の性質の違いにあることに気づく。

 違法はある法規範に違反することであるから、判断には違法か合法の2つしかない。二者択一、二律背反である。一方で「不適切」は判断者の価値観に依存し、無限の段階が存在し、かつ、論者によっては同じ事象であってもその判断はわかれる。違法が定性的であるのに比し、不適切は定量的であるからである。そもそも並んで比較することができない概念であった。

 ありもしない嘘を判決文に平気で書く裁判官が、その判決文の理由のなかで、「著しく不合理とはいえない」という日本語を使った。合理・不合理は違法と同じく二者択一・二律背反概念であり、「著しく」という形容詞は程度概念であるから、この日本語の命題は完全な論理矛盾であった。イメージとしては「少しは不合理であるが、その不合理は許容される程度である」ということだろうが、このような日本語をまともに理解できる日本人はこの世にいない。裁判官は、このようなことが平気でできる人種である。

(了)

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