2024年04月29日( 月 )

【凡学一生の優しい法律学】東北新社の国会答弁、無法国家を露呈(前)

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立憲民主党・枝野代表は勉強不足?

 マスコミ各社は、(株)東北新社が認可条件を満たさずに放送免許を取得したことで、免許取消処分を受けると報じた。

 この問題について、国会では極めて異例の証言があった。国会で東北新社側は、株主比率が基準に抵触することを事前に相談し、認可後に子会社に免許資格を移譲することで総務省と合意したと説明。虚偽申請を行った事実はないと訴えた。しかも、証言の内容は具体的で、日時や面接した担当公務員まで特定していたのである。

 名指しされた当時の担当公務員は、国会でそのような「記憶」はなく、面接した「記録」も存在しないと反論。東北新社が主張するような事実についても記憶がないと答弁した。

 このやり取りに対し、枝野幸男・立憲民主党代表は次のような見解を述べた。

 「東北新社の社長の証言は具体的で信用性がある一方、担当公務員の答弁には何ら具体性もなく、信用性に欠ける」。

 この論法は、日本の裁判官の常套句である。原告側の証人と被告側の証人の証言が真っ向から対立した場合、裁判官は今回のような論法によって、一方の主張を真実であると認定する。しかし、これは間違った論法である。

 裁判官がこの論法によって、具体性に欠ける証言を排斥することは事前にわかっているのだから、よほど無能な弁護士でない限り、証人と事前の打ち合わせを行う際に、可能な限り具体的な事情を証言に盛り込む。その結果、原告と被告の証言は具体性の面で大差がなくなる。つまり、証言の具体性を比較すること自体、客観性のない恣意的なものとなることが多い。

 東北新社の社長の証言は、かなり具体的であった。一方、担当公務員の証言もそれに応じた内容であるから、何ら具体性に欠ける点はない。枝野代表が担当公務員の証言には具体性がないと主張したことに対し、理解を示す国民はほとんどいないだろう。

滅茶苦茶な証明責任論を展開

 問題は、この論法がそもそも間違っていることを枝野代表がまったく理解していない点である。証言は証拠法上、「供述証拠」と呼ばれる。意図的な詐言(人をだますための言葉)を含め、証人の過誤や錯覚などのバイアス(偏り)があるため、物的証拠などよりも証明力が弱いとされている。

 自白の場合であっても、自白の内容を補強する証拠が必要とされるのも、バイアスが存在するからである。従って、供述証拠(証言の内容)が具体的であるかどうかによって、証言の信用性を判断すること自体が完全に間違っているのである。

 枝野代表は、証拠法の基礎知識も欠けているのではないだろうか。枝野代表は続けて、「従って、証明責任があるのは担当公務員の方である」と主張した。これは相撲でたとえるなら、土俵外に吹っ飛ばされた力士を土俵内に戻して、相手をやっつける責任があると言っているようなもので、滅茶苦茶な証明責任論である。

(つづく)

(後)

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