2024年04月20日( 土 )

コロナ騒動を機に「日本の文化度」を考察(3)

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美術評論家 岩佐 倫太郎 氏

 ドイツでは、グリュッタース文化相が「文化は平穏なときにだけ享受される贅沢品ではありません。皆さんを見捨てるようなことは決してしません」(2020年5月)と具体的な支援・補償を約束した。一方、日本では「日本の文化芸術の灯は消してはなりません」(宮田文化庁長官)という発言はあったものの、具体的な取り組みにはほとんど言及していない。「日本の文化度」について、美術評論家の岩佐倫太郎氏に話を聞いた。

日本は文化芸術で2度の複雑骨折を経験

 ――日本の文化芸術についてはどうでしょうか。

 岩佐倫太郎氏(以下、岩佐) 翻って日本の文化芸術を考えてみます。その背景には何があるのでしょうか。私は日本人が自国の文化芸術に対して自尊の気持ちがなく、知識人の多くが自己卑下してしまう裏には、日本が文化芸術に対して2度にわたる複雑骨折を経験したことと不可分ではないと考えています。

 1度目は明治の「文明開化」です。このとき、産業革命を進める欧米に対抗するため、自国文化を切り捨て、西洋文明を取り入れました。建築も文化芸術(美術、音楽など)も西洋から教師を招いて、追いつけ追い越せでやってきました。いわば、接ぎ木の文化芸術ということができます。

 当時の象徴的な出来事に、1873年に日本政府が初めて公式参加した「ウィーン万国博覧会」があります。これは欧米にとっては産業革命の成果を競い合うものでした。日本は約1,300坪の敷地に神社と日本庭園をつくり、白木の鳥居などを配置したほか、産業館にも浮世絵や工芸品を展示しました。

 たしかに、東洋の「エキゾチシズム」が大きな人気を呼び、「ジャポニスム」ブームを巻き起こして、ウィーンの画家のクリムトなどにも影響を与えました。その一方で、日本の産業革命・工業化の遅れも露わになったのです。大久保利通や伊藤博文らの岩倉使節団(※1)もこの博覧会を見学して、日本の工業化の遅れに痛切な危機感をもったといわれています。帰国後、大久保は「内国勧業博覧会(※2)」を開いて、それをきっかけに、日本を富国強兵への道へ推し進めたのはご存知の通りです。鹿鳴館の舞踏会などに象徴されるように、強国になるためのなりふり構わぬ西洋化は、伝統文化を置き去りにしました。浮世絵などについても、時代遅れなものとして等閑視されたわけです。

 2度目の複雑骨折は、「第2次世界大戦における敗戦」です。その結果、米国を中心とする欧米の大衆的な文化芸術が日本中を席巻しました。この2度にわたる経験で、我が国の文化芸術は価値のないものであると自信をなくし、借り物である欧米文化ばかりを持ち上げ、自国の文化を守ろうとしなくなりました。

 このことが、日本の文化芸術に対する冷遇にもつながっていると考えています。自分の文化に自負心をもてないから、大事にしようと思わないということになります。

「浮世絵」の流出で「印象派」が成立

 ――私たちは日本の文化芸術をもっと大切にすべきですね。

岩佐 倫太郎 氏
岩佐 倫太郎 氏

 岩佐 私は講演などでよく話すのですが、絵画の分野でいえば、「浮世絵」が流出してその影響で初めて、西洋で「印象派」が成立したことは紛れもない事実です。モネもゴーギャンも浮世絵の心酔者で、浮世絵がなければ登場していません。浮世絵の影響はモネやゴッホからマティスに至り、さらに20世紀美術の巨匠ピカソにまでおよんでいるのです。

 このような東西美術の交流の歴史を知れば、本来ならもっと日本の文化芸術に自尊の念をもっていいはずです。読者の皆さまが、コロナが去った暁にパリに出かけて美術館を訪れるときには、「さすが印象派は素晴らしい!」などと感心ばかりしていないで、最新の美術の知見に立って鑑賞していただきたいのです。

 また、戦後の日本の抽象美術で、近年、世界でコレクション・ブームが起こっている「具体美術」にしても同様です。「具体」は決して欧米の亜流ではありません。「琳派」や「浮世絵」の伝統があったからこそ、ニューヨークやパリなどに伍して国際的な作品を生み出せたのだと思います。

 2022年2月2日には、大阪中之島に「大阪中之島美術館(※3)」がオープンします。ここでは、天井からロープにぶら下がって絵を描くことで知られる白髪一雄や元永定正、田中敦子など、戦後の抽象絵画を生み出した「具体」の多くの作品が見られます。

※1:明治維新期の1871年末から73年9月まで、アメリカ合衆国やヨーロッパ諸国へ派遣された使節団。岩倉具視を全権とし、政府首脳陣(大久保利通、伊藤博文など)や留学生を含む総勢107名で構成された。使節団の主目的は友好親善や欧米先進国の文物視察と調査であったが、各国を訪れた際に条約改正を打診する使命も担っていた。 ^

※2:明治政府が殖産興業政策の一環として開催した博覧会。1877年に第1回を開催。続いて81年、90年、95年、1903年と計5回開催された。海外の万国博覧会へ参加した経験は、政府や識者に産業振興へ向けた博覧会の効用を教え、大久保利通が建議して開催の運びとなった。 ^

※3:大阪・中之島に新たに誕生する美術館。2022年2月2日にオープンする。西洋近代美術をはじめ、日本近代美術、現代美術、デザインなど多岐にわたる5,700点超のコレクションを所蔵する。モディリアーニの裸婦像や、具体美術協会のリーダーたちの作品をそろえるほか、エコールドパリの作家である佐伯祐三の作品は日本最大級の57点が所蔵される。 ^

(つづく)

【文・構成:金木 亮憲】


<プロフィール>
岩佐倫太郎氏
(いわさ・りんたろう) 
美術評論家。大阪府出身。京都大学文学部(フランス文学専攻)卒。大手広告代理店で美術館・博物館・博覧会などの企画とプロデューサーを歴任。ジャパンエキスポ大賞優秀賞など受賞歴多数。ヨットマンとして『KAZI』(舵社)などの雑誌に寄稿・執筆、作詞家として加山雄三氏に「地球をセーリング」を提供。大学やカルチャー・センターで年間50回を超える美術をテーマとした講演をこなす。近著に『東京の名画散歩~印象派と琳派がわかれば絵画が分かる』(舵社)。美術と建築のメルマガ「岩佐倫太郎ニューズレター」は全国に多くのファンをもつ。

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