【唐津街道中膝栗毛/後編】景観保存と開発の狭間で揺れ動く箱崎~小倉の旧宿場町(後)
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芦屋(芦屋町)
下関と並び称された港町も「つわものどもが夢の跡」
左:芦屋宿の構口跡 / 右:芦屋町役場 芦屋宿は、現在の芦屋町役場の北側一帯、遠賀川河口の西岸に形成されていたとされる宿場町である。
宿場内の街道筋はやや坂道となっている 芦屋の地は、古代より沿岸航路の津(港町)であり、遠賀川の水運によって運ばれてくる物資の集積地でもあったことから、「芦屋津」と呼ばれていたという。江戸初期には、遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡の年貢米の積出港として、江戸中期以降には陶磁器や鶏卵、櫨蝋(和ろうそくの原料)、石炭などの積出港として繁栄。その繁栄ぶりは「芦屋千軒、関千軒」として、山口・下関と並び称されるほどだったという。とくに文政・天保期(1818~1844年)にかけては、芦屋に集まった品物を肥前伊万里で売り、伊万里の焼き物を仕入れて全国に売りさばく「旅行商人」が活躍。芦屋のまちには裕福な商家が多数軒を連ねていたとされる。宿場町としては、陸と海と川が交差する交通の要衝であったことから人の往来も多く、旅籠や木賃宿、問屋場、廻船問屋などがあったが、江戸中期からは唐津街道の主要ルートが芦屋宿経由ではなくなったため、次第に街道を行き交う人の数は減少。それでも明治初期までは、現在の遠賀郡などを含めた広範な郡域を統括する郡役所が芦屋に置かれたほか、警察署・法務局・裁判所などの行政機関も集積し、地域の中心都市として繁栄していたという。
左:渡し場跡 / 右:遠賀川河口に架かる芦屋橋 ところが、やがて鉄道路線が通る折尾や若松などの周辺地域が発展していく一方で、主要な鉄道路線から遠く離れた芦屋は、かつての交通の要衛から次第に陸の孤島になっていった。すると、行政機関なども折尾や若松へ移転し、以降は衰退の一途をたどっていくことになる。なお、大正から昭和にかけては、石炭の運搬を目的にした芦屋鉄道が敷かれていたこともあったが、石炭輸出港としての若松の優位性には勝てず、わずか17年という短期間で廃線となったようだ。
現在の芦屋宿一帯は、街道筋に沿って数軒の古い建物が残るほか、遺構を示す石碑などは建っているものの、往時の面影はあまり残っていない。また、空き家や空き地なども散見され、何となく寂しい雰囲気だ。すぐ近くには芦屋町役場があり、南に行けば航空自衛隊・芦屋基地や競艇場「ボートレース芦屋」などもあるが、エリア全体として人口減や高齢化が進んでおり、「つわものどもが夢の跡」といったところか…。
【坂田 憲治】
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