2024年04月20日( 土 )

困った老人たち(後)

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大さんのシニアリポート第111回

 手術には身内の同意が必要とされた。身内の有無を看護師に聞かれた。するとM子は、「身内はいません」といったのだ。看護師は身内がいない場合の諸条件をM子に伝えた。トレーナー氏が困惑した顔をする。「甥がいるんじゃないの」と発言。すかさず「最近会ってないからいないのと同じ」といい放つM子。

 M子のもう1つの特徴は、平気で嘘をつくことである。看護師が慣れた表情で、「じゃ、次回は甥子さんと来てください。書類に記入していただきます」ということでひとまず落着する。トレーナー氏の車でM子のかかりつけの医院に直行し、降圧剤を受け取る。結局1日がかりの受診となった。しかし問題はこれで終わらない。

サロン幸福亭ぐるり イメージ    後日、M子は甥と手術可能な病院には出かけなかったのである。電話で手術を拒否したというのだ。理由は、甥の住む町と病院が遠く離れ、甥が通いきれないということらしい。甥の近くの病院を探すから、それまで待つことにしたという。これは明らかに嘘だ。私は甥の性格を知っている。3年ほど前、M子が体調を崩し市民医療センターに入院したとき、連絡して了解を取り付けたにもかかわらず、甥は最後まで姿を現すことがなかった。面会も手続きもすべて「ぐるり」のスタッフがした。

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 案の定、1カ月以上経った現在も甥からの返事はない。M子は「ぐるり」の常連の誰彼構わず、「甥が病院を探している」と話す。初めのうちは納得していた常連も、度重なる同じ言葉に辟易したのか相手にしなくなった。それがM子の癇に障ったのだろう、最近では険ができた顔のまま常連客との諍(いさか)いが絶えない。メンバーから「仏のトレーナー」といわれている彼も、さすがにM子を避けるようになった。最後までしっかりとサポートした彼にとって、完全にメンツを潰された格好だ。こうして誰も相手にしなくなった。おそらく手術を嫌がったのはM子で、その原因は、「全身麻酔から醒めない場合もある」という医者の一言に恐怖を抱いたからだと推測される。

 春日武彦(精神科医)と穂村弘(歌人)の対談集『秘密と友情』(新潮文庫)に、「俺のところに来るのは、むしろ虚言癖に近いような患者が多いんだよ。秘密があるように見せても実は見破ってもらいたいとか、自分に関心をもってもらうための撒き餌みたいなものだったり。あとは、幼いころに近親相姦されたみたいな、ありもしない秘密を自分でつくり上げて、それで選ばれし者の恍惚と不安を感じているような、ね」(春日)という下りがある。内容が異なるものの、M子の抱く心情と酷似している。誰からも相手にされない自分を想像できないM子は、これまでにもさまざまな嘘、それもとってつけたような嘘をいっては人目を引くことに熱心だった。

サロン幸福亭ぐるり イメージ    「ぐるり」の常連は心優しい人が多い。5年ほど前、Yさんという女性の常連客が、ある日、「私は呆けてきたみたいで、時々家に帰る道順がわからなくなることがあります。どうぞ皆さん、助けてください」と認知症をカミングアウトしたことがあった。すかさず常連が分担して買い物から、家までのエスコート、家のなかの整理まで支援してくれたことがあった。その日から「ぐるり」の空気が変わった。Yさんを中心にしたサポート体制が組まれ、見事に最後まで面倒を見た。常連客が進んでサポートするには、サポートを受ける側の性格の善し悪しが加味される。Yさんは誰にでも優しく、心穏やかな性格で、誰からも愛される人だった。

 Yさんが施設に入所することになった。送別会を開くから入所日を教えてくださいといった。すかさず「人知れず入所するつもりですので、送別会はお断りします」とYさん。本当に忽然と我々の目の前から姿を消した。実に格好いいと思った。

 残念ながらM子はその対極にある性格だ。ここまで人の好意を無にし、嘘で固めてしまえば自ずと人は去る。恐らくこの先、誰も相手にしないだろう。ある日家のなかで転び、起き上がる力もなく、その時を迎える可能性が高い。孤独死を「緩慢なる自殺」といった医者がいた。これが杞憂であればいいと祈るばかりだ。「ぐるり」に来る「困った高齢者」の話でした。

(了)


<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)

 1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務の後、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ2人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(講談社)『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』(平凡社新書)『「陸軍分列行進曲」とふたつの「君が代」』(同)など。

(第111回・前)
(第112回・前)

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