2024年04月24日( 水 )

15年目に入った「サロン幸福亭ぐるり」を振り返る(後)

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大さんのシニアリポート第115回

 今年8月13日で、運営する高齢者の居場所「サロン幸福亭ぐるり」(以下「ぐるり」)が15年目に入った。一口に15年というが、運営するとなると苦難の連続。予期せぬ事態が連続して起こり、四苦八苦だった。過去を振り返ることで、スタートした当時の熱い思いのなかにあった方向性を再確認し、今後の糧としたい。それにしてもよく続いたものだ。その原動力は何だったのだろう。

 2014年、隣接するURの空き店舗を借りて運営場所を移転。“居場所”というのは、「住民が来たいときに開いていること」が重要。開催日を決めて、その日に来亭を促すのは居場所ではないと思ったからだ。ついでに「サロン幸福亭ぐるり」と名前を変更。広報誌も『結通信』から『ぐるりのこと』と変えた。住んでいる地域、つまり「“ぐるり”を対象とする」というメッセージが込められている。

ぐるりのこと

 「見守り」を重視するというコンセプトにおいて画期的だったのは、社会福祉協議会(社協)とのコラボだろう。社協のCSW(コミュニティ・ソーシャル・ワーカー)が週一で「ぐるり」にきて、住民の主に福祉に関する相談を受ける「何でも相談所」を開設した。県営住宅の集会所で「幸福亭」を開催したという五年間の実績が、それなりに住民(とくに高齢者)の生活状況を把握し、「見守り」ができたと思い込んでいた。とんでもない。社協のCSWが来亭したことで、周辺の状況把握が一変した。見えなかった生活困窮者や親子へのネグレクト、DV、共依存、ギャンブル、酒などの依存症、認知症、ひきこもりなどがいきなり可視化されたのだ。「見守り」はできていたと勘違いしていたにすぎなかった。

 問題を抱えているはずの住民が相談に来るかといえば来ない。そこで問題を抱えていそうな住民にこちらから声をかけ、CSWに引き合わせるという作戦に出た。これが功を奏した。これまで延べ100人以上の住民が相談にきた。子どもに捨てられた高齢夫婦に最後まで関わり、施設の入居までお付き合いしたという事例もあった。大切な相談事を来亭者のいる「ぐるり」内で受けるわけにはいかない。そこで、倉庫として使っている隣の部屋にテントを張り、そのなかで相談を受ける。間仕切りが薄い板一枚なので、「ぐるり」内で流れる音楽の音量を上げ、相談事の内容が漏れないように気を遣った。

 社協との関わりは、来亭者の意識にも大きな影響を与えた。ある高齢のM夫人が認知症であることをカミングアウトした。すると、来亭者の数人がM夫人のサポートを買って出たのである。スーパーに同行し買い物の手伝いをする。冷蔵庫に詰め込まれた期限切れの食品を処分。「ぐるり」への往き来にも連れ添った。できる範囲ではあるが、M夫人の「見守り」をしてくれたのだ。これは予想外の出来事だった。来亭者の仲間意識の変化を再認識した。

サロン幸福亭ぐるり    東京工業大学教授で美学者の伊藤亜沙さんや、(一社)「つくろい東京ファンド」代表理事の稲葉剛さん、(一社)「Colabo」代表で「すべての少女に衣食住と関係性を」を説く仁藤夢乃さんたちのようなダイナミックな活動はこの先も無理だろう。NHKの「ドキュメント72時間」に見る「定点観測」を頭に描きながら運営していくつもりだ。カラオケの装置が壊れた。人気があり、正直カラオケに来る人たちの入亭料で運営費を賄っていたところもある。「初心に還れ。運転資金は何とかなる」という暗示的サインだと理解した。中身をリニューアルし、再スタートを切るつもりでいる。それにしても開設した原動力って、何だったのだろう。

(了)


<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)

 1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務の後、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ2人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(講談社)『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』(平凡社新書)『「陸軍分列行進曲」とふたつの「君が代」』(同)など。

(第115回・前)
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