2024年05月15日( 水 )

「もうつくれない」昭和初期の建築物・九段会館を保存再生(前)

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洪洋社編集部編「軍人会館競技設計図集」洪洋社(昭和6年)
洪洋社編集部編「軍人会館競技設計図集」
洪洋社(昭和6年)

 九段会館テラスでも残された北側正面玄関と内濠通りに面する東側玄関の2つの玄関を設けた意図が書かれている。正面玄関前は、当初から庭園として計画されていたことがわかる。屋上には「靖国神社臨時奉安所」を設け、「六」の「容姿ハ国粋ノ気品ヲ備へ」がこのコンペが要請するデザインを決定づけている。この軍人會館コンペは日本建築史上においても、「日本趣味の建築」いわゆる帝冠様式を要請するものとして、明治神宮宝物殿と並び評される。

 かくして一等当選案に選ばれたのが小野武雄案であった。建築史家の藤岡洋保氏は、ファサードの古典的な三層構成と彫りの深いスクラッチタイルがもたらす壁面の水平性に対して、玄関周りを垂直的なジャイアントオーダーで強調して、複雑な形状の建物にも威厳をもたせることに成功したと評する。北の正面玄関が講堂(ホール)・宴会用、北東が事務用、南東が宿泊室用といったように、玄関がそれぞれ配置されるなどプランニングは機能的なものでもあった。

 建設にあたっては、当時の金額で軍人から100万円、南満州鉄道から100万円、その他一般寄付および昭和天皇からの御下賜金が5万円集まり、1932年に起工される。建設の趣旨が同年に在郷軍人会が発行した『帝國在郷軍人會概要』に記してある。

 「昭和の更新に値り將に御即位を迎へんとす國家の隆運臣民の慶福之に過ぐるものなし特に皇室の殊遇を蒙り君恩の鴻澤に浴する我が帝國在郷軍人會はこの光輝ある時期に際し會勢伸展の跡を顧みて感激の至に堪へず乃微衷を捧げて後昆に遺すべき事業を立て三百萬會員の鞏固なる形而上の團結を更に形而下に表明し以て無上の盛儀を永遠に記念するは意義頗る大にして著しく望む所なりと信ず此の趣旨に基き一大會館を帝都に建設して修養の道場となし心身の慰安所たらしむるは最も時運に適せりと謂ふべく帝京に来往する會員の宿留交歓に便益を興ふるの一設備たるのみならず一堂の下互に談論して智徳技能を開發研磨するの樞軸とすべし是即本會の此の擧を企て大禮を記念せんとする所以なり」

 軍人會館は、全国の軍人会を束ねる殿堂であった。完成後は在郷軍人会が本部をここに移し、戦前戦中を通じて主に軍の予備役・後備役の訓練・宿泊に供された。36年の「二・二六事件」では戒厳司令部が設置され、37年には愛心覚羅溥傑と嵯峨浩との結婚が執り行われたことでも知られる。

【永上 隼人】

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