2024年05月22日( 水 )

露ウ戦争の第二局面(2)

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 日本ビジネスインテリジェンス協会理事長・中川十郎氏から東京大学法学部教授・松里公孝氏の「露ウ戦争の第二局面―ロシア軍事政治指導部内におけるウクライナ全土派とドンバス集中派の対立」が寄稿されたので以下に紹介する。

力が拮抗したドンバス戦線

戦争 イメージ    ドンバスにおけるウクライナ軍は、(1)マリウポリ、ヴォルノヴァハを中心としたドネツク州南部、(2)マリインカ、アヴヂイフカ(ドネツク州東部)からクラマトルスク、スロヴャンスク(ドネツク州北部)に至るドンバス西部に集中していた。これらは、全ウクライナ軍のなかで最もモチベーションの高い部分であった。

 戦争の第1局面においてはロシア軍の戦力がウクライナ全土に分散していたため、(1)を包囲掃討する作戦は進められたが、(2)はほぼ手つかずのままであった。ただでさえ乏しい戦力を南にとられたドネツク人民共和国の中央部(ドネツク、ゴルロフカ、マケエフカなど)が、(2)からいいように砲撃され、甚大な被害を被った。

 州南部の戦闘についても、初期においてはロシア軍が砲撃などで援護するにするにせよ、ドネツク人民共和国軍が主に展開した。3月15日ごろからマリウポリ包囲掃討戦(カチョール=釜と俗称される)が本格化すると、ロシア軍も地上戦(白兵戦)に本格的に参加するようになったが、主にチェチェン共和国の特殊部隊が投入された。海軍歩兵のような露軍のエリート的な部隊が地上戦に投入されたのは、マリウポリ戦のかなり末期だったと思われる。

 4月21日、マリウポリに残存する約2,000名のウクライナ軍戦闘員がアゾフ製鉄所の地下に立て籠った時点で、ウラジミル・プーチン露大統領はマリウポリ戦の事実上の終了を宣言し、残存ウクライナ軍を地下に封じ込めて降伏を待つ作戦に切り替えた。「ロシア軍がアゾフ製鉄所で化学兵器を使った」という演出を米国が準備しているという諜報情報が寄せられたため、力攻めを止めたともいわれる。アゾフ製鉄所封じ込め作戦に、チェチェンの特殊部隊などがあてられ、ロシア軍と人民共和国軍の主力はマリウポリから共和国中央部に移動した。イースターの休養を取った後、共和国中央部をウクライナ軍の砲撃から解放するため、待ちに待ったマリインカ、アヴヂイフカ戦などに投入されるのであろう。

 マリウポリで行われたのが第一の釜(包囲殲滅戦)であったとすれば、私も含む露・米などの観察者、軍事専門家の多くは、ロシア・人民共和国側はドンバス西部(上記の(2))を包囲する第2の釜を形成するだろうと開戦当初から予測してきた(旧稿参照)。そのためには、露軍を黒海北岸のベルジャンスク近辺から北上させ、他方ハルキフ州南東部のイズュムから南下させなければならない。第2の釜が形成されれば、マリウポリに次いでモチベーションが高いウクライナ軍の精鋭を殲滅することができる。逆にそれに失敗すれば、ドニプロ方面からの補給路が絶たれず、人民共和国は今後も砲撃を免れることができない。

 第1局面においては、露軍は兵力分散のためイズュムさえ攻めあぐね、ドネツク州北部に入ることもままならかった。4月に戦況が劇的に好転したわけではなく、露軍がイズュムを制圧し、ドネツク州北部に入れたのは4月25日のことであった。そこからドネツク州北部の要衝スロヴャンスクに到達するにも相当困難な進軍が予想される。スロヴャンスクは、2014年4月12日にイーゴリ・ギルキンが反ウクライナの武装闘争の烽火を上げた都市である※2。また、イタリアの才能溢れるフォト・ジャーナリストであったアンドレア・ロッチェリが、30歳の若さでウクライナ軍によって射殺されたのも、この都市の近郊であった(2014年5月24日)※3。

※2 その後、ギルキンはドネツク人民共和国の国防相にまで出世するが、ロシアが同共和国の支援を本格化した2014年8月に解任された。その後はプーチン政権に対する極右オポジションになった。しかし、こんにちプーチンがいうことは、当時ギルキンが言っていたことにそっくりである。

※3 この件についてのウクライナでの捜査はまったく進まなかったので、2016年、イタリアの検察が事件を取り上げ、殺人への関与が疑われたテルノピリ出身のウ・イ二重国籍者が逮捕された。この人物およびウクライナ国家は一審では有罪とされ、人物は懲役21年の判決を受けた。上訴審では人物は証拠不十分で無罪となったが、ウクライナ国家の有罪性は再確認された。

 人民共和国が2014年には手放さざるをえなかったリマン(クラスヌィ・リマン)、スロヴャンスク、クラマトルスクというドネツク州北部の3大都市を、今回、ロシアと人民共和国が数珠つなぎに占領することができるかどうかが、マリウポリ戦に続く、露ウ戦争の第二の剣が峰である。この3都市近辺は、地域全体がウクライナ軍によって要塞化されている。そのうえ、ウクライナ側のドニプロからドンバスへの補給路が健在なのに対し、ハルキフ州を通るロシア側の補給路はウクライナ軍のゲリラ的攻撃を頻繁に受け、不安定である。

 ハルキフ―イズュム方面からの進撃が遅れるなか、ロシア軍とルガンスク人民共和国軍は、上記3都市を東から攻めるためにルガンスク北部を占領しようとした。しかしここでも、4月25日時点でようやくルベジュノエ(ルビジュネ)を制圧したものの、要衝であるセヴェロドネツクはウクライナ軍の支配下にある。

(つづく)

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(3)

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