世界で大事業に携わってきたプロジェクトマネージャーの哲学(前)
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(株)Cosmo Link
代表取締役 中村 ニック 昇 氏
DEVNET INTERNATIONAL
世界総裁 明川 文保 氏世界で大規模な事業のプロジェクトマネージャー(PM)として活躍している人は、10人もいないといわれる。(株)Cosmo Link代表取締役・中村ニック昇(N. Nick Nakamura)氏は羽田空港や長野冬季オリンピックのプロジェクトに携わり、米国などでPMを務めてきた。なぜこのような大事業を収めることができたのか、PMとしての思想や哲学、どのようなプロジェクトをつくっていくのかについて、中村氏とDEVNET INTERNATIONAL世界総裁・明川文保氏が対談した。
(聞き手:(株)データ・マックス代表取締役会長 児玉直)
米国や日本で大規模事業に携わる
──これまでプロジェクトマネージャー(PM)として、どのような思いで大規模なプロジェクトに携わってきましたか。
中村氏(以下、中村) 1973年に米国最大手の総合建設業であるベクテルに入社しましたが、当時はアジア系で最初の建築家でした。ベクテルは米国のフーバーダム、アラスカ州のパイプライン、米国の原発、中東のイラク戦争後の復興事業などの米国の国策プロジェクトに関わっています。従業員数は5万人で、2021年の売上高は約175億ドル(約2兆3,000億円 ※4月14日時点の為替レート)です。
レーガン大統領の下で米国務長官であったジョージ・シュルツ氏は当時、ベクテルの社長でした。ベクテルはホワイトハウスそのものといえるほどに米国政府とつながりが深い企業です。ベクテルは発注者とゼネコンの間に立って知恵袋となり、プロジェクトを運営管理します。
レーガン政権でシュルツ氏が国務長官に選ばれた当時、日本はバブルでしたが、米国経済は停滞していました。当時の日本の建設や資材のコストは世界的にも高く、総合的に見ると欧米のコストの約2倍でした。
日本の建設業界で行われてきたJVの仕組みは、何かあったときに他社が代行できるリスクマネージメントができますが、大手企業が企業体をつくれば入札競争ができなくなる一面もあります。建設業に天下りも多いことから、米国はこれを日本の建設業の「鎖国」と見ていました。
そこで、シュルツ氏が安倍晋太郎外務大臣(当時)に対して、施工予定の羽田空港や長野冬季オリンピック関連施設などに関して、日米構造協議の一環として建設分野でもベクテルが携わることを提案しました。私は1990年に、国策として日本に派遣されました。
ベクテルは羽田空港や関西国際空港、長野冬季オリンピック関連施設、NTT本社ビル、東京テレコムセンターなどのプロジェクトにジョイントベンチャー(JV)のかたちで参画し、日本で「黒船」と言われていました。
ベクテルで仕事をしていたときは、自社の利益達成を考えながらも、日本の建設業がうまくいくようにと、当時の建設省や大手ゼネコンなどで講演しました。最初は恐れられていましたが、結果的には、最後まで頼ってもらい、私も助けていただいて、双方にメリットがある方法でプロジェクトを行うことができました。
明川氏(以下、明川) 安倍氏とシュルツ氏の会談は、日本の外交の在り方を変えました。建設業の予算を削り、大手ゼネコンのJVを排除しました。この経緯を受けて、私は関わっていたプロジェクトである日本全国の橋の建設から手を引きました。
──日本では、スーパーゼネコンの役員が国務大臣に就くのは考えられないことですが、米国の方が大胆ですね。
中村 キャスパーワインバーガー元米国防長官やカーラ・ヒルズ元通商代表部代表もベクテルに在籍した経験があり、ベクテルはホワイトハウスそのものと言われています。
「Win-Win」を目指す
中村 98年に自由な思想でプロジェクトを進めたいと考えてベクテルを早期退職し、三井不動産(株)からスカウトされて東京の汐留開発PMの業務委託を受けました。
当時はバブル崩壊後で、東京の汐留地区が競売に出されていました。ディベロッパーが単独で入札するには予算規模が大きかったため、シンガポール政府投資公社(GIC)が7~8割、三井不動産とパナソニックが残りの資金を出して入札し、受注しました。
私が組織を管理する立場に就き、世界的なマネージメントシステムを導入するなかで、もちろん最初は抵抗もありましたが、最終的には友好的な関係を築くことができました。ビジネスで双方にメリットがある「Win-Win(Win-Win)」を目指すのが、私のPMとしての姿勢です。自分さえ儲かればよいという考え方はよしとしていません。
日本の大学では、米国を手本にしてPMの理論を教えていますが、世界各国で文化や宗教、プロジェクトのタイプはまったく異なります。個々のプロジェクトに適切な手法は学校では教わらないため、自分で試行錯誤して見つけ出すことが唯一の方法です。学問として学んだ理論は誰かが前につくった考え方であるため、それ以上のものを生み出すことができるように毎日24時間考えています。
PMの理想的な役割とは
──5月末に福岡市長が福岡市へのIRの誘致を発表する予定です。周囲の関係者から、「大規模なプロジェクトマネージメントの実績のある人は世界には10人もいない」と聞きました。PMはどのような役割をするのが理想ですか。
中村 お互いにメリットがある「Win-Win」の方法を生み出すことが、私のPMとしての姿勢です。PMはオーナーの代行者であり、オーナーが求める以上の成果を成し遂げることが求められます。
日本の大手不動産会社や建設会社の仕組みは、欧米人から見ると独特です。日本の大企業はジェネラリスト主義なので、構造や建築、法律、営業、ITなど、どの仕事も少しずつ学ばせるのが良いと日本の経営者は思っています。社内に専門家を置くと固定経費がかかりますが、社員が数万人規模の会社でのジェネラリスト主義は、これからは通用しないのではないでしょうか。
PMの役割は、発注者に代わってプロジェクトを進めることです。PMはプロデューサーであり、オーケストラの指揮者です。国によって楽器の演奏者は違いますが、さまざまな要素をうまく組み合わせることが求められます。オーナーは専門分野以外をPMに代行させて目標を共有し、ゼネコンの経営者の知恵をアウトソースする米国式の方法が良いと考えています。
ゼネコンの経営者は現場からたたき上げの人が多く、現場で培ってきた自分のやり方を重視しがちです。しかし、日本のスーパーゼネコンには、経営に特化した人材が必要だとPMの立場からは感じます。長崎IRは見送りになりましたが、私にPMの依頼がありました。
各プロジェクトではそれぞれ個別の解決策を考え、人の5倍の努力をしてきました。妻はイギリス系米国人ですが、今まで休暇を取ったこともなく、家族もクレームを付けません。私は米国籍ですが、働き方は「明治の日本人」です。
ベクテルでチーフアーキテクトとして、米国ミシガン州のミッドランド原発のプロジェクトに携わったときは35歳で約2,000人を統括していましたが、ここはフォードやクライスラーなどの自動車メーカーの本社があるデトロイトに近い場所でした。米国では当時、日本車が爆発的に売れており、デトロイト周辺は失業者だらけでした。私が日系人であるため、車をパンクさせられたり、現場を歩いていると上からスパナ―が落ちてきたりしました。しかし、このときの経験に比べれば、大規模なプロジェクトもそう難しくはありません。
(つづく)
【文・構成:石井 ゆかり】
<プロフィール>
中村 ニック 昇(なかむら にっく のぼる)
(株)Cosmo Link代表取締役。米国建築学会フェロー(FAIA)。1973~98年まで米国の大手総合建設業のベクテルに勤務。サウジアラビアのジュバイル工業都市、アイオワ州とミシガン州の原子力発電所、東京国際空港(羽田空港)、98 年の長野冬季オリンピックなどのプロジェクトに携わった。98 年に独立し、 2005 年までに汐留シティセンター、東京ミッドタウン、中国の連雲港市マスタープランなどのプロジェクトに携わった。工業団地、データセンター、コンドミニアム、複合施設など、さまざまな国際プロジェクトのプロジェクトマネージャーを務めている。明川 文保(あけがわ ふみやす)
山口県生まれ。DEVNET INTERNATIONAL世界総裁、(一財)DEVNET JAPAN代表理事、東久邇宮国際文化褒賞記念会代表理事。1973年山口県防府市に日本初の冷凍冷蔵庫・普通倉庫を備えた3温度対応の総合流通センター開設。岸信介元首相後援会青年部会長、安倍晋太郎衆議院議員私設特別秘書、九州・山口経済連合会(現・九州経済連合会)の国際交流委員・運輸通信委員・農林水産委員、山口大学経済学部校外講師などを歴任。▼関連記事
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