2024年05月07日( 火 )

知っておきたい哲学の常識(27)─西洋篇(7)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

よみがえるスピノザ

アムステルダム イメージ    スピノザの名を初めて知ったのは大学生の時だ。ある授業で末木という先生が熱心にスピノザの話をしていた。授業が終わって隣に座っていた女子に「スピノザどう思う?」と聞くと、「まるで原始人」とポツリと言った。私にはその真意がわかりかねたが、それ以上は問わなかった。

 その後彼女の言をいくら考えても、答えが出なかった。彼女は無駄口をきく人ではない。きっと意味があるに違いない。そう思って半世紀が過ぎた。

 末木先生はスピノザを中国哲学と比較していた。仏典とも比較していた。事あるごとにナトゥーラ・ナトゥランス、ナトゥーラ・ナトゥラータをお題目のように唱えた先生の声が今でも聞こえてくる。この2つの語は、スピノザの自然観を端的に表すものなのだ。

 スピノザのナトゥーラは「自然」と訳すのでは不正確で、「創造」と訳すべきだと先生は言っていた。世界は創造されたものでありつつ、創造するものだというのがスピノザの神髄だとも言っていた。だいぶ後になって現代の哲学者が書いたスピノザ論に、スピノザは生命を尊ぶ人だと書いてあった。そうか、スピノザは生命論者だったのかと合点した。

 人間は自然の力で生み出されたものである。しかし、その人間は自然の力を自分ももっており、なにかを創造することができる。この考え方は、私たちの原点である『古事記』の産霊(ムスヒ)につながる。産霊は生殖エネルギーのことで、これが世界を動かしているというのが『古事記』的世界観なのである。

 すると、あの学生時代の隣の女子の言葉の真意がみえてきた。『古事記』の世界を原始人の世界と見るならば、スピノザはたしかに原始人なのだ。

 コロナがはやり出してから家に閉じこもることが増えた私は、仏典を覗くようになった。難解すぎてわからないので、ただ覗くだけである。しかし、それでもわかったことがある。末木先生がスピノザと比較していたのは華厳経だったということだ。「事々無碍」とか「事理無碍」とか、わけのわからない言葉の連続するあの経典だ。

 華厳は四段階だったが、スピノザは人間の認識を三段階に分けていた。欲望に基づく認識が第一段階。これは幼児に典型的にみられるが、大人も欲望はあるのでこの認識から抜け出せない。次の段階は理知の認識で、なるほどこういうわけで自分はこういうふうに物事を見るのだという自覚に到達する。これだけでもすごいのだが、それを乗り越えないと悟れないというのが第三段。

 第三段の認識は悟りであるから、すべてを「永遠の相」において観ることになる。この「永遠の相」というのがわからない。悟ってみなければわからないのだから、わからなくて当然だと言われればそれまでだ。でも、少しはわかりたい。

 道元だったかわからないが、禅の本にこういう話があった。ある仏師が一生懸命石をけずって仏像をつくろうとしていた。そこへ現れた寺の坊主が「まだ、出来んのか。いつになったらできるのじゃ」と催促した。しかし、仏師は黙って石をけずり続けた。

 何日かして、また坊主がやってきて同じ質問をした。たまりかねた仏師は、石をけずる手を止めてぶっきらぼうにこう言った。「見えんのですか。仏様はここにいらっしゃる」と石を指さしたという。

 話はここで終わっているが、この仏師の言ったことがスピノザのいう「永遠の相」なのかもしれない。仏像は創造される物ではなく、自己を創造する行為なのだ。

 それにしても、スピノザはデカルトと同じ頃の人なのに、考えがあまりに違いすぎる。原始人とは思えないが、西洋人とも思えない。末木先生が東洋哲学と比較するのも無理なかった。

 デカルトは自然を超えるものとして神を考え、人間の理性がその神に匹敵するものと思っていた。彼にとって、動物は理性がないから自然を超えられず、機械的な反復行為しかできないのだ。

 一方のスピノザは自然が神であり、神はそれ以上でも以下でもなかった。人間も動物も生き物すべては自然が生み出したものであり、同時に自然なる存在として自らを生み出すことができるのだ。その限りにおいて、生き物すべて神なのである。

 2人の哲学者のちがいは物事に対する態度に端的に現れる。デカルトにとっては理知的でないものはすべて下等なものとして排除され、理知が世界に君臨してあたかも神のように自然を支配できる。スピノザにとっては、そういう態度は自然という神に対する侮蔑であり、不敬なのである。

 『古事記』の伝統に基づく日本人なら迷わずスピノザを支持し、デカルトを採らないだろう。しかし、明治以降の日本人は、知らず知らずスピノザ的思考を離れ、デカルト派に加担してきた。それが西洋流であり、世界の主流だったから。

 しかし、もうその流れから脱却しなくてはならない。スピノザを我らのうちによみがえらせようではないか。 

(つづく)


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

(26)
(28)

関連記事