2024年05月20日( 月 )

「心」の雑学(4)合理的な選択と道徳(前)

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合理的な選択とは

イメージ    明瞭な回答が浮かばないとき、即決ができないとき、自分のキャパシティをオーバーしそうな場面では、誰しもせめて合理的な判断、選択をしたいと思うものではないだろうか。とくに、大きな物事、案件であればなおさらだろう。

 しかし、合理的な選択とは、具体的にどのような判断を指すのだろうか。辞書などで「合理的」の意味を調べてみると、「理性や道理、理論に基づいているさま」や「無駄なく効率的なさま」などといった意味が出てくる。もう少し掘り下げて考えると、語源的にrationalとreasonableの2つの側面があり、前者は数量的な要素があるが、後者にはその要素がないという指摘もある1。ビジネスの文脈では経済学の話などが引き合いに出されることがあるが、たとえば経済学の期待効用理論の枠組みでは、合理性について具体的にこう判断すべきといった指針がある。この理論では、期待効用(価値や利得のようなもの)を最大化あるいは最適化するものが合理的な判断と考えられている。従って、我々が一般的に求めている合理的な選択というのは、前述の数量的な部分で最適さが保証されるような選択なのではないかと思う。

 これが個人のレベルで完結するような出来事での判断なら、話は簡単なわけであるが、社会や仕事の文脈では、それ以上の大きな規模の判断を求められることがある。とりわけ、組織や集団の代表として選択を任されたときなどは、つい合理的な判断をしなくてはと考えてしまうものだろう。

 一方、こういったケースで自分が判断者でない場合は、合理的という説明があったとしても、代表者の選択に納得がいかないということも身に覚えがあるのではないか。結局のところ、「合理的」であれば必ずしもすべてが解決するわけではなく、何を根拠に合理的とみなすのかといった、選択のプロセスが重要ではないだろうか。そこで今回は、選択が非常に困難な状況での合理的判断について考えてみたい。

道徳的ジレンマでの判断

    次の状況が起きたとき、あなたならどうするかを考えてみてほしい。

 あなたの目の前で、暴走したトロッコが走り抜けていく。その進路の先には5人の作業員がおり、トロッコの存在に気づいていない。このままではトロッコは5人の作業員を轢いてしまうことになるだろう。あなたの目の前には路線上のトロッコの進路を変えられるスイッチがあり、これを押せばトロッコは5人の作業員とは別のルートへと進み、5人の命を助けることができる。しかし、新しい進路の先には別の1人の作業員がおり、トロッコはその1人を轢くことになるだろう。この状況で、あなたは5人の命を助けるためにスイッチを押すだろうか?

 また、次の場合はどうだろうか。暴走したトロッコが5人の作業員に向かっているところまでは先ほどと同様だが、今度は、あなたは歩道橋の上からこの状況を見守っている。残念ながら今回はあなたの周りにスイッチはない。しかし、歩道橋の上にはかなり大きなリュックを背負った人が立っていて、この人を歩道橋からトロッコの路線上へと突き落とせば、トロッコの進行を止められそうだ。なお、あなたが代わりに線路に落ちてもトロッコを止めることは難しく、リュックだけを奪って落とすような時間もない。この状況であなたは、5人の命を助けるために目の前の人を突き落とすだろうか?

 これは「トロッコ問題2」という哲学の思考実験のシナリオで、モラルジレンマ課題と呼ばれることもある。一時書籍やテレビなどでも話題になったので、トロッコ問題というワードに馴染みのある方もいるかもしれない。そして、おそらく最初のシナリオではスイッチを押すことを受け入れることができて、次の歩道橋のケースでは人を突き落とすことを受け入れられなかった人が多かったのではないかと推測する。これらのシナリオの本質は、1人の犠牲を出せば5人の命を救えるという意味でまったく同じでありながら、我々の心理的な抵抗感はまったく異なる。このシナリオにともなう心理的な差異の傾向は、基本的に文化差などを越えて、ある程度共通しているとされる3。スイッチは受け入れられて、人を突き落とすのは、なぜ受け入れられないのだろうか。哲学者のなかには、トロッコ問題にまつわるこれらの差異から、道徳の本質や定義に迫ろうとしている人もいるという。

 一方、心理学者のなかには、このトロッコ問題は人の道徳観を浮き彫りにするための問いではないとする見解もある。というのも、その後トロッコ問題のシナリオにいくつかのバリエーションを加えて検討していった結果、人々の判断に影響する1つの要因がみえてきたのだ。

 その要因というのが、ジレンマ状況の解決手段を実行する際に、犠牲となる1人に<直接身体的な接触がともなうかどうか>というものである。さらに、このトロッコ問題について考えているときの脳活動を測った研究4から、スイッチのケースでは前頭前野背外側部などの認知的制御や合理的・理性的な判断に関わる領域が活性化していることが確認された。

 それに対して、歩道橋のケースは前頭前野腹内側部や扁桃体などの感情、そのなかでもとくに強い情動と呼ばれる感情に関わる領域が活性化していることが示された。つまり、歩道橋のシナリオの場合に1人を犠牲にすることを受け入れられないのは、強いネガティブ感情が活性化し、より多くを助けるという判断にブレーキをかけてしまうということだ。重要な点として、犠牲を出すことそれ自体ではなく、問題解決の方法の手続き的な側面に対して、ネガティブ感情が喚起されているということが挙げられる。

 トロッコ問題の判断の違いは、その行為が道徳的かどうかというより、強いネガティブ感情が生じるかどうかに左右されていて、しかもその感情の原因は1人を犠牲にする方法のようである。助け方の違いでその行動が道徳的かどうかが決まるというのは、何か違和感がないだろうか。このことから、トロッコ問題が人の道徳観の本質を明らかにするものではなさそうということが、何となくおわかりいただけるのではと思う。

現実に起こるモラルジレンマ

 このジレンマの話をすると、「日本で生きていたらこんな場面には出くわさない、リアリティがない」といった指摘をされることが多いが、哲学の思考実験からきているものなので、ここで重視されているのはあくまでも論理的な構造である。この問題と向き合うときに大切なのは、より多くの命を救えるときに少数の犠牲が発生してしまうことの是非を、どう捉えるかということだ。ただ、本当にこういった場面が現実社会にないのかというと、そうでもない。たとえば、災害時の救助ルートを決める際や、緊急医療での治療や搬送先の選択などは、まさしくこのようなモラルジレンマに直面している状況といえる。近年の事情でいえば、新型感染症に対するワクチン接種の優先権も同様である。あるいは、命に直接関わるわけではないが、リストラという(比較的)少数の犠牲によって、会社と多くの従業員を救うというケースも、ある種これに近しい状況だといえるだろう。トロッコについても、本質はあくまでもそういった状況のたとえなのである。

 さて、ここまでの話を聞いて、改めてこのジレンマ状況に立たされたとき、あなたならどうするだろうか。もちろん、前提として命に関わる判断に正解はないだろうし、実際にはもっと細かい文脈や背景が判断に影響を与えるということはあり得る。合理的な選択という観点に戻れば、効用を最大にするために1人を犠牲にするのは正しいようにも見える。では、もしこの状況で合理的な判断を求められたなら、あなたはどうするだろう。今回はここで一度結びとさせていただきたい。

 次回は、この問題と向き合うための思考法とその選択について考えてみることにする。日常生活を送るうえで、ときに感情が有用な道標となることはたしかではあるが、その感情の源泉が道徳などの崇高なものに基づくというのは、あまり期待しすぎないほうが良い。心のなかの天使と悪魔ではないが、強い感情に身を任せて即決するのではなく、一度立ち止まって状況の構造と本質をよく考え、決断を下してみてほしい。

1.  秋田 一雄.(1999). 合理的と理性的 安全工学, 38(3), 215-216.^
2. 今回はわかりやすさを重視し、オリジナルのシナリオからは多少描写の改変をしている。^
3. Hauser et al. (2007). A dissociation between moral judgments and justifications. Mind & Language, 22, 1–21.^
4. Green et al. (2001). An fMRI investigation of emotional engagement in moral judgment. Science, 293(5537), 2105–2108. ^


<プロフィール>
須藤 竜之介
(すどう・りゅうのすけ)
須藤 竜之介1989年東京都生まれ、明治学院大学、九州大学大学院システム生命科学府一貫制博士課程修了(システム生命科学博士)。専門は社会心理学や道徳心理学。環境や文脈が道徳判断に与える影響や、地域文化の持続可能性に関する研究などを行う。現職は九州オープンユニバーシティ研究員。小・中学生の科学教育事業にも関わっている。

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