2024年04月26日( 金 )

安保法案に問う~手記『不戦の誓い』(5)

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(株)小笠原創業者小笠原平吾氏の手記より

 道端には数百人の死体が延々と続き、身動き出来ない戦友たちは、敵の捕虜になるよりはと三人五人、円座して手榴弾で自決してゆくのを目の前で見た。又、四つんばいになって眠っているのかと思えば、その上に蝿が群がり、すでに息絶えている者や、マラリアの高熱に冒されて狂気となり、故郷に残した妻子の名を高々と叫んでいる者、水をくれ、水を飲ませてくれと声を振り絞って叫ぶ者、敵兵に殺されるよりも早く殺してくれとすがりつく者、傷口からこぼれ落ちる蛆虫を追い払う気力もなく泥沼の中に座り込んでいる者等、全くの生地獄とはこのことかと思わせられた。飲まず食わずで疫病と斗い、傷の手当も出来ず、蛆虫を沸かせながら只、気力だけで死の撤退を続け、敵中を突破して、奇跡的に部隊に辿りつき、生還ができて全く夢のようである。
 昭和六十年は前鹿島市長(佐賀県)・故馬場勝氏を団長として、同郷の石橋氏小山氏達と一緖に、異国の土と化した亡き戦友のご冥福を祈るため、ビルマ慰霊巡礼団に参加し、お参りしてきた。今の日本の平和がいつまでも続くことを心より祈念するこの頃である。

(以上 平吾氏手記『ビルマ戦線 死の敵中突破』原文まま)


 当回含め、5回にわたって故小笠原平吾氏の手記『ビルマ戦線 死の敵中突破』を紹介させていただいた。(株)小笠原の重松会長、小笠原社長に依頼し、同手記を拝借したのは、戦時下での生々しい活動を記すことで、不戦の誓いについての、本質を知っていただきたかったからである。そして同社の重松会長と小笠原社長が、ご親族を中心に現在も平吾氏のご遺志を継いで、慰霊巡礼を行っている。
 わが国は現在、安保法案を巡って世論も白熱し、国会で同法案の成立した今も国民の意見が一致したとはいいがたい。そのなかにあって真実をもとに、静かに真しに戦争に殉じた方々への慰霊を続けて、『不戦の誓い』を次の世代に伝えている方々がいる。今生かされているわれわれは、何をしていくべきか改めてこの手記を読んで、考えてみた。「戦争・交戦をどんどんやるべきだ」と考えている日本人は、どれだけいるのだろう。

(了)
【河原 清明】

 
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