2024年05月10日( 金 )

シモン・ペレスの遺産はどこへ?

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

ギデオン・レヴィの入植批判

パレスチナ イメージ    NHKエルサレム支局の駐在員としてイスラエルに滞在した鴨志田郷氏は、イスラエル=パレスチナの和平に尽力したシモン・ペレス首相とアラファト議長のそれぞれに単独インタビューを行っている。後になってペレス死去の報を受け、氏は感慨深げにこう語った。「あれほど近くにいて偉大だと感じた政治家はほかにいません。」ペレスほど言動が一致し、心の深いところに大きな思想を抱いた政治家を見たことがなかったということだ。

 ペレスはイスラエルの将来を憂えていた人である。このまま和平が実現しなければ、国運が傾くと真剣に考えていた。その思いはジャーナリストのギデオン・レヴィに受け継がれ、彼はイスラエル国民の良心に訴える記事を書き続けている。

 レヴィはペレスを心から尊敬し、パレスチナ人の実情を報道することが自分の使命だと心に決めた。その結果たどり着いたのが、イスラエル二国家化(二国家解決)という解決法への賛同である。現在のイスラエルにパレスチナ人とユダヤ人それぞれの政権を樹立し、イスラエルを分割するという案だ。この案は、欧米諸国でもかなりの支持を得ている。

 レヴィはイスラエルとアラブ諸国の絶えざる戦乱よりも、イスラエル建国の理念であるシオニズムよりも、ガザ地区に対するイスラエル人の入植に対して厳しい目を向けてきた。セツルメントと呼ばれる居住区の建設を、イスラエルのパレスチナ人に対する前代未聞の暴挙として弾劾してきた。

 彼はイスラエル政府に向かい、「占拠した土地をパレスチナ人に返せ」と激しく要求する。「自分はイスラエル人であり、愛国者であればこそ、イスラエルには正しい国であってほしい」というのだ。彼によれば、今のイスラエルは強盗。パレスチナ人がハマスを組織してイスラエルを攻撃の標的にしても、少しも驚くべきことではない、ということになる。

 レヴィはチョムスキーやフィンケルシュタインのようなユダヤ系アメリカ人のイスラエル批判とは一線を画す。イスラエルのパレスチナ人に対する差別が度を越しているその具体的な現実を的確に把握し、イスラエルのガザ入植そのものを批判しているのだ。彼はこの入植は、故シモン・ペレスの努力を踏みにじるものであり、イスラエルの将来を暗くするものだと確信している。はたして、その確信をどれほどのイスラエル人が共有しているか、そこはわからない。

ウクライナ戦争の影を小さくしたイスラエルの暴挙

 イスラエル問題がクローズアップされたため、ロシアのウクライナ侵攻が影の薄いものになってしまったと多くの人が感じている。その原因はメディア報道の多寡だけのせいではない。

 ロシアの侵攻はアメリカおよび西欧諸国の軍事同盟であるNATOへの東欧諸国の加盟、あるいは加盟願望が原因である。冷戦が終了した時点で、ロシアと欧米諸国のあいだには、NATOがロシア近隣にまでおよばないようにすることが暗黙に了解されていた。それなのに、ロシアの隣国ウクライナが急にNATOに加盟したいと言い出したのだ。これはロシアにすれば、ウクライナの自分たちへの裏切りである。だが、それだけではなく、西側諸国のロシアへの背信である。プーチンの堪忍袋の緒は切れた。

 無論、だからといって、プーチンを弁護はできない。攻め込んだ方は責められるのが理である。同様に、ペレス=アラファトの努力でせっかくパレスチナとの和平が成立したのに、それを無視するようなイスラエル政府のやり方も非難されるべきなのである。

 イスラエルにはアメリカを巨大な後ろ盾があるが、世界中がイスラエルを支持するかというと、そうはなっていない。逆に、この暴力を黙認しているように見えるアメリカが非難の矢面に立たされている。アメリカとしてはこれは困った状況で、世界の世論を反ロシアへと導いたように親イスラエルに導くことができないでいる。

 ロシアとイスラエルでは大きなちがいがある。ロシア軍がこの一年半で死なせたウクライナ市民の犠牲者数より、イスラエル軍がわずか一ヶ月で死なせたパレスチナ市民の数の方が多いというちがいである。これではロシアの侵攻が目立たなくなるのも無理はない。今の世界で最も凶悪な国はイスラエルだ、ということになってしまう。

 ところで、前出のギデオン・レヴィは「ハアレツ」という新聞に多くの記事を載せている。このハアレツ紙の電子版の昨日の記事に、イスラエル諜報機関は10月7日のハマス攻撃より数カ月前に、ハマスが攻撃準備を進めていることを探知しており、それを政府に伝えたのに無視されたと書いてある。これが本当なら、ハマスの攻撃をまったくの不意打ちということはできず、政府の怠慢と非難することの正当性が増す。

 他方、もし政府がそれを知たうえであえてハマスに攻撃させ、それをテコにガザ地区を我が物にしようとしたのだとすれば、自国民の犠牲をも厭わぬ大犯罪行為ということになる。真相はいずこにあるのだろうか。


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

関連キーワード

関連記事