2024年05月03日( 金 )

経済小説「泥に咲く」(10)底の抜けたバケツ

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ
法人情報へ

 主人公の経済的な挑戦と人間的な成長を描いた経済小説『泥に咲く』。手術からの回復、教育施設の創設、病院経営への進出といった多様な試練を経て、主人公は社会的出来事や人間関係を通じた自己発見の道を歩む。これは、経済的成功と個人的成熟の両面での自立を目指す主人公の旅路を描いた、実話に基づく成長物語である。

底の抜けたバケツ

 智徳学園には業績改善の要素がまるでなかった。いや、むしろ借金は嵩んでいた。利用者の増加で移転を余儀なくされ、その費用がさらに重くのしかかっていたのだ。

 思ったよりもコストがかかった理由の1つは、勢事が自分の興味を抑えきれず、感覚統合療法のための高額な器具を買い入れてしまったからだ。感覚統合療法はアメリカで考案された神経発達症の治療法で、日本には1980年代に初めて紹介された、それは最新の理論であり、専門器具であった。

 世間の注目を集めるためにも、勢事は智徳学園に話題をつくり続けなければならなかった。業界の見学者が相次いだ点で、その狙いはある程度、達成できたのかもしれない。ただそれが、コストに見合うものでなかったことを、勢事はすぐに思い知らされることになる。

 そして、もう1つの理由が内装費だった。勢事には広告会社に勤務する関村という友人がいた。変わった男で、見えないものを感じる特殊な力があり、自らを「チャネラー」とか「ヒーラー」と呼んでいた。

 その能力は経営者の間でも知られていて、全国にディスカウントスーパーを展開する成長企業の社長に呼び出されて、これからの展開に関する「予言」を与えたりもしていた。関村は広告営業マンとしての業績もたしかだったが、勢事にとってはスピリチュアルな裏の顔と、そこに集まる彼の人脈に興味があった。

 学園の移転に際して関村は「内装はまかせておけ」と勢事に言った。関村が懇意にしている内装会社が入ることになり、工事は勢事の思惑を超えて進んでいった。おかげで立派な教室が出来上がったが、工事費は予想の倍にも膨らみ、しかし、事前に公正証書を取られていたこともあって、事後の値下げ交渉は一切、受け付けられなかった。関村は「まあ、だいたいこんなもんだ」と笑った。

「岡ちゃんなら、なんとかできるよ。俺にはね、未来が見えるから」

 調子のいい男だと思ったが、憎めなかった。

 この内装の委託をきっかけに2人は頻繁に飲み歩く仲になった。どちらも金に余裕はなかったが、高級クラブを訪れては、まるで金持ちのような飲み方をして、そのように振る舞った。もちろん、それはハリボテだから、月末になるとお互いに連絡を取り合い、互いのなけなしの金をかき集めてつけを支払い、見栄を保った。

 返済額が増加しているのに、金遣いは荒いままだから、当然ながらキャッシュフローが悪化していく。とにかく現金が足りない。月末が近づくと、いよいよこれで終わりかと眠れないほどのストレスに苛まれた。いっそすべてを終わらせたい。毎日のように、そう思っていた。

 それでも、勢事はこの事業を放り出すことができずにいた。職員や利用者のため、というのもあったが、いや結局は自分のためである。福岡の経済界ではあくまで「智徳学園の岡倉勢事」として認識されている。今、これを失えば、勢事はその時点で「ただの人」に成り下がる。それは耐えがたい屈辱だったし、成功者となる可能性を絶たれることでもあった。

 勢事にとっての成功とは何か。それはまず金であった。

「金がないのは、首がないのと同じ」

 父、丈治はまったく信用のできない人物だったが、彼が時折口にする警句は理が通っていた。決して上品ではないが、きれいことではない、極めてリアルな事実が含まれた、独特の奥行きのある言葉だった。それは丈治のような修羅の世界を生きてきた人間だからこそ、獲得できた思考に違いなかった。

 金がなくては何もできない。もちろん勢事にしても、単純に「金があれば何でも買える」などとは思っていない。しかし、金がなければ、自由は大きく制限されてしまう。金がない人間に人は振り向かないし、その主張を聞こうともしない。それがこの社会のリアルだ。

 現実的に金が必要な事情もある。勢事には酒と女のための金が必要だった。なぜ、そうまでして、高級な店に出入りして、金をばらまくような行為が必要なのか。それは勢事自身にもよくわからなかった。ただ、おそらく勢事にとって、中洲は故郷であり、ホステスは家族なのである。勢事にとって夜の街での遊興は、帰巣本能に従った行為なのかもしれなかった。

 店に気に入った女がいれば口説いた。外見には自信はなかったが、ホステスと心を通わすのは、勢事にとってそれほど難しいことではなかった。これは勢事の〝育ち〟に関係するのかもしれない。女たちは勢事のあけすけな物言いに反発し、笑い、いつしか心を開くのだった。

 付き合いが始まれば、毎月、幾ばくかの金を渡した。それが男としての責任だと、知らず知らず思っていたのは、松田の影響だろう。とくに女手1つで子どもを育てているホステスには弱かった。関係が薄れても、支援を続けたりもした。

 そうした支出は、積み上がっていけば、ばかにならない額になっていた。だのに、勢事には「節約をしなければならない」という思考は働かない。出ていくぶんをまかなえるだけの金が必要だと考えるのだ。

 つまり成功とは、金のための成功だ。名声はいらなかった。有名になるのは、むしろ御免だった。

「勢事くん、先頭に立つなよ。先頭は撃たれる。先頭が撃たれてから、ゆっくり腰を上げるこっちゃ」

 これも丈治の言葉だった。人間社会は嫉妬が渦巻いている。だからとにかく目立たないようにすべきで、それは勢事も心得ていた。人にちやほやされたいという欲求はなかったし、多くの人に認められる必要もなかった。

 財界での認知を求めてきたのは、それもやはり金のためである。実際、これまで智徳学園がなんとか続いてきたのも、有力者たちからの寄付のおかげだ。それがなければとうの昔に潰れていたに違いない。勢事が予想した通り、大義名分を掲げた学園は、有力者との縁をつなぐパスポートとなった。

 しかし、その一方で底の抜けたバケツでもある。いくら金を入れても、少しも手元に残らない。勢事は徒労感を覚え始めていた。智徳学園は、もっと大きな金を稼ぐための、いわばファーストステップなのだ。これがうまくいかなければ、次の階段に足をかけることさえできない。なんとかしなければならなかった。

(つづく)

(9)
(11)

関連キーワード

関連記事