2024年05月06日( 月 )

AI(人工知能)がもたらす労働大移動と脱労働社会(後)

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駒澤大学経済学部准教授
井上 智洋 氏

ディレクション力の競い合いへの
ゲームチェンジ

 23年に入ってから、多くの研究者が、生成AIはスキルの低い人を底上げする一方で、スキルの高い人にはそこまで影響しないという実験結果を発表している。それゆえ、生成AIは格差を縮小するというコンセンサスが形成されつつある。しかし、それは本当だろうか?

 そうした実験結果は、もはやスキルが大してお金にならないことを意味している。労働者がスキルを磨いたところで、スキルを磨いていない労働者がAIを使ったのと同レベルのパフォーマンスしか発揮できないのであれば、労働市場におけるスキルの価値は限りなく低くなるだろう。

 だからといって、すべての労働者が等しくAIに仕事を奪われるようになるわけではない。生成AIは「スーパー偏差値エリート」であるけれど「指示待ち人間」でもあるような機械であり、的確な指示をする人間の労働者を必要とする。

 生成AIはネットなどから収集した膨大なデータを基に文章や画像をつくっているに過ぎず、基本的には自ら新しいアイデアや表現を生み出させるわけではない。従って、今後、労働者に求められるのは、アイデアを発案しAIに指示を出してそれをかたちにする「ディレクション力」である。

 これまで資本主義のなかで労働者が行っていたゲームは、「スキルの競い合い」であったが、それが「ディレクション力の競い合い」にチェンジする。アニメ映画でいえば、これまでは映画監督つまりディレクターのほかに多くのアニメーターが制作に従事していた。だが、これからは、アニメーターはさほど必要なくなって、1人のディレクターがAIの力を借りてほとんどすべてを成し遂げられるようになる。

ホワイトカラーの分岐

AI イメージ    優れたディレクターは、ほとんどコストを掛けることなく、続々とプロダクトを生み出して、途方もない富を築いていく。だが、そうではない労働者が、ホワイトカラーにしがみつくならば、AIの取りこぼした仕事を細々とこなしていくしかない。

 それはたとえば、暴力的な画像とそうでない画像を選別する作業である。何が暴力的な画像で何がそうでないかという正解を最初に人間が教えなければ、AIは「機械学習」という過程で、選別の基準を身につけることができないからだ。

 マイクロソフトのリサーチャーであるメアリー・グレイとシッダールタ・スリが「ゴーストワーク」と呼んだそのような裏方的な労働のおかげで、AIはあたかも1人立ちして働いているように見える。AIをうまく作動させるには人間の労働が必要だが、それは目につきにくいのである。

 ゴーストワークは多くの場合「ギグワーク」(単発の仕事)でもある。企業に雇用されることなく、好きなときに好きなだけタスクをこなす。そういえば聞こえは良いが、人間らしさがそぎ落とされた荒涼とした労働環境でなされることが少なくない。

 「ゴーストワーカー」は、各家庭で孤立して黙々と作業にあたることが多い。その場合、困ったことがあっても誰にも相談できず、チームで協同して達成する喜びも得られない。そのうえ、会社員のように収入が安定しているわけでなく、有給休暇もない。

 一方のディレクション力を発揮するような仕事を担う「クリエイティブワーカー」もたいていは、既存企業の会社員ではなく、個人事業主か自ら起業するというかたちを取るだろう。AI時代には、満員電車に揺られて会社に赴き、1日8時間ほど働いて帰宅するといった典型的なサラリーマンは減少し、ゴーストワーカーとクリエイティブワーカーが増大する。

 クリエイティブワークのほうがゴーストワークよりも、やりがいがあり実入りもよい場合が多い。また、楽しいコンテンツや便利なアプリを世に送り出すという意味で、経済や社会に与えるインパクトは大きい。ディレクション力を備えたクリエイティブワーカーを増やすことが、今後の日本経済にとって大きな課題となる。

 これまでとくに日本では、言われことをそつなくこなす人間を養成するような教育を施してきた。これからはそうではなく、自らのアイデアをコンテンツやソフトウェア、プロジェクトなどのかたちにする力を養成しなければならない。

 とはいえ、スキルが努力で身につけられるのに対して、ディレクション力はセンスがモノをいうので、努力で誰もが身につけられるものではない。実際、今でもアニメ映画の監督を目指しても、ほとんどの人は夢を叶えることができない。従って、ディレクション力の競い合いという新たなゲームは、これまでのゲーム以上の格差を生み出すことになる。

AI時代に必要な政策

 今でも、ホワイトカラーでは事務職のように人手が余っている職種があるのに対して、ブルーカラーは全面的な人手不足である。このような労働市場の巨大なミスマッチは、生成AIの普及によってますます拡大するようになるだろう。

 従って、ディレクション力を養うような教育を強化するだけでは不十分であり、ホワイトカラーからブルーカラーへの「労働大移動」が必要となる。そのためには、ブルーカラーの地位と賃金が大幅に引き上げられなければならない。

 さらには、AIよりもむしろ、ブルーカラーの仕事を代替するようなロボットの研究開発を推し進める必要がある。それによって、可能な限り労働市場のミスマッチを解消すべきである。

 それでも、雇用が不安定になる未来は避けられないだろう。労働大移動が速やかに進むとは限らないし、ブルーカラーの方もロボットの進歩によっていずれは雇用が減少するからだ。技術の進歩は常に速く、制度の導入は常に遅い。今から、あらゆる人々の生活保障を図る「ベーシックインカム」のような制度を検討すべきである。

AIとベーシックインカムが可能にする脱労働社会

 ベーシックインカムは、政府があらゆる国民に対して、たとえば月7万円といったような額のお金を給付する制度である。ただし、月7万円では東京で一人暮らしをするのは難しいので、そのような額ならば、「生活補助金」と呼んだ方がよいかもしれない。

 しかし、この額はAIの進歩と普及によって高い経済成長が実現すれば、それに合わせて10万円、15万円と増やすことが可能だ。そうすると、いつかは労働しなくても良いような「脱労働社会」が到来することになる。

 これは、労働が消滅した社会ではなく、労働が多くの人々にとって人生の主軸ではないような社会である。たとえば、日がな一日プラモデルをつくるとか、ボランティアに精を出すとか、カフェでくつろぐといった生き方が可能になった社会だ。もちろん、労働が好きな人はこれまで通り働くこともできる。

 資本主義が全面化した今日の世の中では、労働によって得た報酬によって、人の価値が品定めされる傾向にある。稼いでいる人は勝ち組、そうでない人は負け組というように、色分けされるのである。このような社会である限り、すべての人々が幸福な人生を過ごすことは難しい。従って、労働が人生の主軸とならざるを得ないような画一的な今の資本主義的な社会から、多様な生き方が許容される脱労働社会へと移行すべきである。

 だからといって、資本主義を即座に廃絶するような社会主義的な革命は、独裁と流血、停滞をもたらすだけである。むしろ、AIの進歩と普及によって資本主義を加速させ、その極限において資本主義からの出口を見出すべきではないだろうか?その出口の先にあるものこそが脱労働社会である。

(了)


<プロフィール>
井上 智洋
(いのうえ・ともひろ)
駒澤大学経済学部准教授、慶應義塾大学SFC研究所上席研究員。博士(経済学)。2011年に早稲田大学大学院経済学研究科で博士号を取得。同大学政治経済学部助教、駒澤大学経済学部講師を経て、17年より同准教授。専門はマクロ経済学。とくに、経済成長理論、貨幣経済理論について研究している。最近は人工知能が経済に与える影響について論じることも多い。著書に『人工知能と経済の未来』『人工知能とメタバースの未来』(文芸春秋)、『ヘリコプターマネー』(日本経済新聞社)、『AI時代の新・ベーシックインカム論』(光文社)、『純粋機械化経済』(日本経済新聞社)、『MMT』(講談社)、『「現金給付」の経済学』(NHK出版)、『AI失業』(SBクリエイティブ)などがある。

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