傲慢経営者列伝(10):三菱グループを抉る(1)三菱電機は不正から再起できるか!
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「失われた30年」──。財界の総本山・経団連の本流である重厚長大企業は、産業構造の転換が遅れ、競争力を失ったため、30年前には存在しなかった米巨大企業を中心とするIT企業の台頭で凋落の一途をたどった。かつて花形だった、日本最大の重厚長大企業集団・三菱グループの今日を抉る第2弾。「昭和は遠くになりにけり」の感を深くする。(敬称略)
三菱グループは、政策保有株の解消に舵を切る
重厚長大企業を支えてきた仕組みが、音を立てて崩れようとしている。旧財閥やグルーブ間で持ち合ってきた政策保有株の売却が進んできたためだ。
日本企業は戦後、安定株主づくりの一環として、旧財閥やグループ間で株式を持ち合った。株式の持ち合いは、買収防衛策の悪しき慣習として、海外から批判を受けてきた。東証は、海外から投資を呼び込むため、政策保有株の解消を求めた。これを受けて、日本企業は政策保有株の解消に動き出した。
旧三菱財閥が結集した日本最大の重厚長大企業集団である三菱グループも、政策保有株の売却に舵を切った。三菱グループの「御三家」である三菱UFJフィナンシャル・グループと三菱重工業が、同じ御三家である三菱商事の株式を売却したのは、「鉄の結束」を誇る三菱グループが解体に向かう象徴的な出来事だった。
三菱グループの企業では、政策保有株の売却が相次いだ。三菱電機は2024年3月期に、政策保有株24銘柄を売却した。不祥事が相次ぐ三菱電機は、独力で「物言う株主」に向き合うことになる。
三菱グループとのもたれ合いに安住し、危機管理体制が最悪と評される同社の不祥事対応を振り返ってみよう。
不正検査で、柵山会長と杉山社長が引責辞任
三菱電機の柵山正樹取締役会長は21年10月1日に引責辞任した。三菱電機は同日、名古屋製作所可児工場(岐阜県可児市)と長崎製作所(長崎県時津町)における品質や検査の不正について、調査報告を公表した。社外の弁護士らでつくる調査委員会(委員長・木目田裕弁護士)がまとめた。可児工場では工場長が不正を知りつつ隠蔽を指示していた。長崎製作所でも管理職が問題を把握し、本社にも一部報告していたが十分な対応がとられなかった。組織ぐるみで不正が行われていたと認定した。
14~18年に社長だった柵山の経営責任を明確化する。長崎製作所では、鉄道車両用空調装置で35年以上にわたって不正な検査を実施していたことが発覚し、杉山武史前社長が7月下旬に引責辞任した。柵山会長と前社長・杉山武史の2人の経営トップが引責辞任する異例な事態となった。
杉山の引責辞任を受けて社長に就いた漆間啓は、長崎製作所から不正を伝えられた当時の社会システム事業本部長だ。対応が適切だったかが問われることになる。
三菱電機は経団連副会長の「企業枠」も失う
柵山は経団連副会長も辞任した。柵山は6月の定時総会で経団連副会長に就任したばかり。山西健一郎特別顧問(元社長&会長)からバトンタッチして「三菱電機」という企業枠を死守したわけだ。企業枠を守っているのは金融機関と日本製鉄と三菱電機だけである。
経団連の副会長に、なぜ、電機業界第二グループの三菱電機が続けて入っているのかというと、経団連前会長の中西宏明(日立製作所前会長)の意向による。中西は、リンパ腫の治療のために断続的に入院治療を続けてきたが、21年6月27日、75歳で死去した。
「中西氏は、NECとソニーグループは嫌だとして副会長に入れなかった。東芝は不祥事以来入れないので、それで三菱電機となった」(経団連関係者)
三菱電機は死守してきた経団連の副会長ポストを失った。
(つづく)
【森村和男】
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