2008年から早良区役所と西南学院大学ワンダーフォーゲル部OB・OGと協働で開始した脊振山系道標設置事業は5年がかりとなる13年に終了した。事業の内容は、道標と登山地図70本を脊振山から三瀬峠間の早良区エリアに設置するというものである。
道標設置完成を記念し、14年から毎年4月29日に脊振山系山開きを開催してきた。4月29日はゴールデンウイーク初日で、山を賑わすミツバツツジとツクシシャクナゲが咲き始めるころでもある。また、昭和天皇の誕生日でもあり、晴れの日が続いていた。
道標設置の完成後にこれまで、春と秋に行っていた脊振クリーンアップ登山のうち春の部を山開きに切り替えた。18年まで5年間続いた山開きは、コロナ禍と悪天候が続き中止せざるを得なかった。
昨年は予備日を5月12日(日)に設定したが、皮肉なことに開催日の4月29日と予備日の5月12日だけ、まるで狙いうちされたかのように大雨となった。
山開きの打ち合わせと準備
2025年4月29日(火・祝)の「第11回脊振山系山開き」の開催については、昨年12月から早良区役所と打ち合わせをしてきた。予備日もゴールデンウイーク明けで区役所の都合も良い5月11日(日)に設定した。
4月5日(土)、脊振の自然を愛する会のスタッフで、山開きスタッフでもある西南学院大学ワンダーフォーゲル部OBと現役学生とで、母校の西南学院百年館の会議室で打ち合わせをした。なお、百年館の会議室は卒業生であれば無料で使用できる。
議題は現役学生の送迎と雨天順延対策だった。今まで、学生の送迎は早良区役所がマイクロバスを提供してくれていた。今回はマイクロバスに予定が入ったため利用できなかった。よってOBの自家用車で送迎することになった。筆者が心配したのは送迎中の事故であったが、幸いなことに運転に熟練したOBばかりだった。会議では山開きのチラシ、アンケート用紙、記念タオル、山開きのノボリ立てなど諸々についての検討をした。

金山山頂の手入れと臨時駐車場の草刈り
4月9日(水)、会員の後輩2人を誘い、山開きの開催場所である金山(967m)山頂の手入れと道標看板文字の修復作業を行った。固定した道標を取り外し、金山の文字を黒ペンキで上塗りし、すっかり色あせていた標高967mの白文字を白ペンキで書き入れた。ただ、文字が小さいので苦労した。
たまたま7~8人ほどの女性グループが登ってきたので、「記念に文字を書きませんか」と声をかけた。幸いなことにグループのなかに書道のうまい人がいて、気軽に引き受けてくれた。文字の修復を終えると女性グループは、修復のために外した道標と記念写真を撮っていた。

そのなかに、「池田さんですか」と、声をかけてきた女性がいた。08年から道標設置活動を糸島のボランティア団体と同時進行で行ってきた伊都遊歩道クラブの小川(元)会長の奥様であった。小川(元)会長には道標設置に何度も協力をいただき随分お世話になった。偶然の出会いが嬉しかった。
山頂の手入れも終わり、旧国道263号の三瀬峠を福岡方面へと下り、福岡市早良区の多々良瀬バス停上部にある「湧水 千石の郷」へ向かった。「湧水 千石の郷」(明太子製造の(株)山口油屋福太郎が運営)は、コロナ感染前は賑わっていた施設だ。バイキングが人気で、広い鉱泉風呂もあり宿泊もできた。しかし、コロナ禍以降は休業中である。
この広い駐車場を山開き開催時の臨時駐車場として借用している。お礼の意味も込め、交流のあるボランティア団体にも手伝ってもらって毎年、駐車場敷地の草刈りを行っている。今年はススキやツタが少なく、我々だけで草刈りを行うことにした。後輩Hが自前の草刈り機2台を持参していたので、効率よく作業ができ、3人の作業は1時間ほどで終了した。
花乱の滝登山口の臨時駐車場も私有地をお借りした。心配していたのは山開き当日の天気である。幸い1週間前の天気予報では晴れ予想だった。天気予報を確認し、開催前日に大学の後輩でもある会員Kとノボリ立ての作業をした。多々良瀬バス停、「湧水 千石の郷」、水源地前バス停側の臨時駐車場(私有地を借用)の3カ所に山開き用のノボリを2本ずつ立てた。
「湧水 千石の郷」の広い駐車場の敷地は、大きなツツジの山と白いナンジャモンジャ(ヒトツバタゴ)が満開だった。この花たちの歓迎に作業に来た2人は大満足であった。きっと登山者も喜ぶだろう。
仮設トイレも一基設置済みだった(早良区役所費用)。山開きの同日に、早良区役所も10家族抽選の家族連れイベントを企画し、目的地は違うが敷地内の駐車場を併用することになっていた。
(つづく)
脊振の自然を愛する会
代表 池田友行