
あるシングルマザーが傷ついていた──フルタイムで働いて、娘の面倒は夕食まで実母が看てくれている。毎日夜遅く帰って、子どもにご飯をつくってやれないこと、娘と一緒にいる時間がどんどん短くなっていること、ただただ苦しいと──子どもと一緒に笑っている母との会話を観るだけで、自分は何をしているのだろうと涙が出てしまう。この世で一番大事な存在と一緒に夕食をとる代わりに、自分は遅くまで会社で残業している。罪悪感ばかりが募り、楽しく笑える余裕がないのだと。
選択肢を与えるのは誰?

さて、ここで必要となった“選択肢”を与える(_α_)とは誰のことだろう?「α=親」もあれば、「α=先生」もあるだろう。友達や親族も挙げられるかもしれない。子どもと過ごす時間が最も多く、かつ濃密な利害関係にある人。しかし現代では、そこに疲弊した親や先生が当てはめられるような状況になっているか、甚だ疑問である。
時間投資の効果は勉強か体験かによらず、子どもの学齢が小さいときのほうが大きい。子どもとの接する時間が多いほうが良いとは限らない。しかし、少なすぎるとどうしても見えずに(わからずに)、取りこぼしてしまうことが出てくる。ちょっとした会話、何気ないコミュニケーションのなかに、子どもの社会生活(友達との関係、クラスでの関係、考えていること、習慣、癖、思想など)が垣間見える。進路進学の岐路で、やりたいことが何なのか、向いていること特技を社会のフィルターに重ねていく考察…(課外活動、部活、習い事、進路進学、目標、未来など)。これらを知らずして、的確なアドバイス、最良な道筋を描く選択肢を閃くことはできない。
教育の世界では、子どもと接する手法として「スキャフォールディング(Scaffolding)」が知られている。直訳すると「足場」、幅広くとると「橋渡し」といった意味だ。学習・問題解決を促すために、大人・教師などがサポートすること。今できないこと、少しだけ難しいことに対し、挑戦していきやすいような刺激を与えることで、できるようにしていくことが幼児教育の要諦といわれる。つまり“ちょっと背中を押してやる”ことが、子どもたちにとって飛躍していくきっかけ、起爆剤になる。
レジリエンスの強さとは、“選択肢の豊富さ”といえるかもしれない。今は兄弟も少ない時代。一人っ子ならなおさら、見て聞いて知り得る機会も乏しい。選択肢を無条件に選りすぐりできる環境下からも遠のく。「レジリエンスの弱さ」とは、目に見えない背後に潜む“サポーターの脆弱さ”ともとれる。子どもの資質を問うことは、近くにいる大人たちの責任も重要。子どもを取り巻く総合力が問われると言ってもいい。“心が折れる“かどうかは、背後で支えている家族の覚悟も見過ごせない連鎖反応といえるだろう。
ヒトは共同で子育てする
時間貧困という不遇のなかにあっても、子どもには否応なく社会という荒波が待ち受ける。「人間は社会的動物である」といわれるが、それは単に皆で協力し合わないと食べていけないということだけではなく、子育てにおいてもいえること。ヒトは社会の力を借りて子どもを育てる動物であり、逆にいうと他者からの力添えを期待できなければ、子どもをつくろうという話にならない。
魚類や昆虫などは基本的に「産みっぱなし」、つまり育児はしない。これに対して鳥類や哺乳類は、生まれてから一人前になるまでは親が育てる。その場合、育児をするのがメス・オスどちらかの親だけの場合もあれば、両方の親が一緒に育児をする場合もある。それでも基本は、親が育児をやる。それが人間の場合、育児の担い手は親だけではない。これは人類の大きな特徴だ。他の動物と人間とを区別する最大の特徴の1つだといえる。それが「共同繁殖」ということ。

『きずなと思いやりが日本をダメにする』
長谷川 眞理子, 山岸 俊男
“ヒトは共同で子どもを育てる…”。母親の時間とエネルギーだけではとても無理なので、配偶者、家族、さらには自分の属している集団メンバーからもサポートを得て、繁殖するという戦略を採ったのが人類の歴史。父親が育児に参加するかどうかは民族によって違いがあるが、しかしどの民族でも、母親だけが単独で育てるということはないという(参考文献:『きずなと思いやりが日本をダメにする』_長谷川眞理子、山岸俊男)。
20歳になるまで1人立ちできないような子どもの面倒を看続け、しかも生活を成り立たせるなど、これは母親だけではとても難しい。子どもが成人するには、その家族やその社会の構成員たちのサポートが必ずある。いや、サポートがないと継続はできないのだ。
時間投資を肩代わり
そこで出てくるのが祖父母の存在だ。選択肢を掲げる予備軍であれば、おじいちゃん・おばあちゃんのような人生の先輩からの助言も大いに歓迎ではないか。いやむしろ、積極的に手伝ってもらいたいところ…。祖父母は頼りやすい。昔と比べれば祖父母との同居率は低下してきているが、子育てで頼りになる力強い味方を、改めて見直してみてはどうか。日本だけでなく、諸外国でも外で働く母親が増えてきたことによって、孫の面倒を見ているという祖父母は増加している。イタリアでは、毎日孫の面倒を見ていると回答した祖父母が33.1%、ギリシャでは少なくとも週に一度は見ていると回答した祖父母が48.9%にも達している(参考文献:「科学的根拠で子育て_中室牧子)。

愛情表現や愛着は、幼少期の子どもには重要だ。血縁でなくとも人生経験の長い先輩たちは、いろいろなところで子どもに良い影響を与えてくれる。祖父母と関わることで、子どもの認知能力UPに良い影響を与えているというデータも出始めている(3世代にわたってデータを取るのは難しいが、ようやくそのデータが溜まってきている)。認知能力を刺激するための基礎的な言語力、コミュ力は高く、幼少期の子どもにとっては貴重な時間投資となり、祖父母の丁寧な接し方は、一般的に彼らの情操教育や言語発達にも良い影響をおよぼす。親の時間投資を十分に期待できないとき、その時間投資を肩代わりしてもらうのだ。とくに「おばあさん」の能力は、総合的に見てもすこぶる高い。家事力もコミュニケーション力も愛情表現も、何よりも自身が子育てを実践してきたという経験もある。孫との何気ない会話、お遊戯のなかでの登用は、非常に良い関係が期待できるはずだ。
子どもの学力が気になる

中室牧子
学力とは認知能力、認知能力とは“考える力”のことである。「“非”認知能力(好奇心、忍耐力、自制心、やり抜く力などのこと)」は、学力テストでは測れないが、幼少期の非認知能力への投資は、将来の学歴、収入、結婚に良い影響を与えていることがデータで示されている。歌を歌う、絵を描く、大笑いする…遊びのなかからさまざまな発見をし、自分で決めて行動することは、意思決定の連続。意思決定の連続ということは、考える力を鍛えるということを通じて、将来の認知能力に良い影響をおよぼすのだ(参考文献:「科学的根拠で子育て_中室牧子)。
子どもの学力を伸ばしたいと、早くから学習に向かわせようとする親は少なくないが、就学前に先取り学習(読み書きそろばん等)をしても、就学後にほとんど追いつかれているようだ。学齢に応じた学び、年齢に応じた刺激が重要であって、発達上できないようなことを早期の年齢で無理にさせるのは、ストレスになるためだろう。
たとえば2種類の園長さんがいたとしよう。「A園長:基礎学力重視」「B園長:経験重視」の方針で、以下のような考えをもっている。
<A園長:基礎学力重視>
「就学前に正式に読みと算数の勉強を始める子どもは、小学校の勉強で有利になる」
「子どもは、小学校に入学する前までに平仮名を知っているべきだ」
<B園長:経験重視>
「子どもが最もよく学ぶのは、積極的で自発的な検索を通してである」
「子どもが課題に対してもつ熱意と関心は、それをどれだけ上手にやれるかよりも重要である」
前者は大人が子どもに「教える」ことを重視している一方、後者は子ども自身に「考えさせる」ことを重視しているといえる。この園長の信念と「保育環境評価スケール」で測った幼児教育の質の関係を見てみると、園長の「基礎学力重視」の信念が強いと幼児教育の質が低く、「関心・経験重視」の信念が強いと幼児教育の質が高いということがわかったという(千葉県_保育の質の充実に向けた調査事業の実施結果について参照)。幼児教育が重要であることは間違いないが、その中身や内容は重要だ。幼児期に小学校の勉強を先取りするような教育は、かえって逆効果になりかねないということは、心に留めておく必要があるだろう。
幼児期には「遊び」が大切だといわれる。幼少期に身につけた非認知能力が、その後の認知能力を伸ばすのに役立つこともわかってきている(ちなみにその逆「幼少期の認知能力→その後の非認知能力」は観察されない)。たしかに大人になっても好奇心を持ち続けることは、仕事を続けていくうえでも有効に働くし、困難にぶつかってもやり抜く突破力や、トラブルを回避していく忍耐力、何よりそれらを内省できる自制心をもつことは、すべての礎になる。もちろんレジリエンスの強さも。
保育園の先生は子どもたちに疑問形の会話で接し、子どもたちに意思決定させるテクニックを駆使する。そのなかで絶妙な間合いで、子どもたちを適切な状態へ誘(いざな)っていくスキルは、やはりプロの仕事。こういう接し方は一朝一夕では身につかないので、1日でも2日でも多少の訓練があったほうが良い。身近に保育士さんなどがいれば、そのテクニックを伝授してもらうと子育てのヒントになるかもしれない。
【提案】大家族スタイル
今の日本は核家族になって、親族からの手足による実働のサポートは期待しづらい。また個人主義的なライフスタイルが普及したので、コミュニティとのつながりが今や薄くなっている。困ったときは隣近所に助けを求めることも、昔ならできたが、誰が隣に住んでいるのかわからないような現代の都市生活ではそれも難しくなっている。そこで提案してみたいのが、現代版の古くて新しい家族モデル「都心で三世代マンション」だ。
核家族社会以前、大家族での同居があった歴史を思い出し、都市部で近居の挑戦。マンションで三世代が同じエリアに住む。エリアリノベーションの考え方で、既存のマンションの躯体壁を取り除き、区割りを変形させる提案。同フロアにファミリー用の大空間を出現させ、おじいちゃん・おばあちゃんを迎える箱を用意してみたい。
たとえば、1フロアに3邸あるマンション(それぞれ3LDK、2LDK、3LDK)があるとする。単純に個室が「3+2+3=8室」確保することができる(躯体の建築的解決は課題だが、ひとまずそれは置いておく)。その区割りを変えて3邸→2邸に減らすことができれば、8室を分けて3LDK~4LDK獲れる。すべての界壁を通過することができれば8室。つまり広さを十分に確保した6LDK~8LDK程度の横移動できる空間が出現する。実際にはキッチンやお風呂など、重なっている機能を集約することで、それぞれの構成をゆったりと確保することもできるだろう。キッチンやお風呂を分けてもいいし、2世帯住宅のように水周りだけは別にすることもできるだろう。それぞれ独立した個室で、過干渉にならないように配慮する。でも、リビングや共有スペースで三世代が何気なく交われるスペースがあれば、祖父母に接する孫の語彙力がみるみる鍛えられていくかもしれない。都市部で平屋の暮らし、“令和の大家族スタイル”を誘ってみる。
“孫疲れ”にご用心
日本の若い独身男女の9割が結婚したいと思っているにもかかわらず、その男性の7割、女性の6割には交際相手がいない。これは個人のライフデザインの変化の問題として片付けられる話ではなく、1980年代までにはなかった日本の新たな社会問題といえるだろう。経済面にフォーカスしてみると、結婚前後で2人がそれぞれの生活レベルを大きく変えないことを前提とすれば、一人暮らしより2人暮らしのほうが明らかに経済的でエコだ。OECDの計算方式を用いれば、2人暮らしのコストは一人暮らしのときの約7割まで抑えることができる。両親と3人世帯であれば1人あたりのコストは6割にまで減少し、祖父母も同居している3世代世帯であれば、5人世帯となってコストが5割を切る(参考文献:データで読み解く「生涯独身」社会_天野馨南子)。

『データで読み解く「生涯独身」社会』
天野 馨南子
“選択肢”は、多様で独創的なものが面白い。おじいちゃん・おばあちゃんたちに子育てを手伝ってもらうはいいとしても、過剰な依存は彼らを苦しめることになる。孫の近くにいて食事の用意や習いごとの送り迎え、学校参観の代行に先生との面談、体力づくりに孫とのジョギングや宿題の見守り…。親は休日にレジャーで一緒になるくらい…では、あまりにも祖父母への体力負担が大きくなる。体を酷使する手助けがどんどん要求されれば、「孫疲れ」といった言葉が出てきても仕方がない。体を張って心身ともに疲れてしまいかねない育児参加ではなく、“知恵を使った”育児参加にシフトすべき。おじいちゃん・おばあちゃんは元来、そのくらいの存在がちょうど良い。
(つづく)
<プロフィール>
松岡秀樹(まつおか・ひでき)
インテリアデザイナー/ディレクター
1978年、山口県生まれ。大学の建築学科を卒業後、店舗設計・商品開発・ブランディングを通して商業デザインを学ぶ。大手内装設計施工会社で全国の商業施設の店舗デザインを手がけ、現在は住空間デザインを中心に福岡市で活動中。メインテーマは「教育」「デザイン」「ビジネス」。21年12月には丹青社が主催する「次世代アイデアコンテスト2021」で最優秀賞を受賞した。

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