ロピアが福岡市内2号店

食品スーパー「ロピア」の福岡市内2号店が、2026年3月に出店を予定している。大規模小売店舗立地法(大店立地法)の届出情報によると、福岡市中央区港で計画されている「ロピア長浜店(仮称)」は、22年4月に閉店したパチンコ店「パーラーラッキー港店」跡地に出店予定。旧パチンコ店の建物に入居するかたちで、店舗面積は1,517m2。
港1435号線と港1436号線が交差する角地であり、那の津通りにも近く、開業の暁には、同エリアの新たなランドマークとなることが目される。
● ● ●
福岡市の都心・天神から徒歩圏内にありながら、長らく開発の光が当たらなかったエリアがある。中央区港だ。その地名が示す通り、長浜鮮魚市場にも隣接し、福岡造船(株)の造船所などを擁するこの一帯は、福岡における漁業の拠点として知られている。一方で、大濠という市内屈指の高級住宅街にも近く、都心部で唯一ともいえる「海に接するロケーション」という比類なきポテンシャルをもちながらも、エリア内はどこか雑然とし、都市開発の文脈では“忘れられた土地”であった。
近年、このエリアに変化の兆しが見える。マンションが建ち始め、少しずつ住宅地としての顔を見せ始めているのだ。だが、その歩みは遅々としており、大規模な再開発には至っていない。なぜこの土地は、これほどの利便性がありながら開発から取り残されてきたのか。そして、これからどうなっていくのか──。
細分化された土地
江戸期、現在の港エリアには黒田藩の藩港が置かれていたとされているが、その一方で、商業の中心地である博多とは一線を画し、港町・博多の玄関口として今の博多港が発展していく傍らで、同地は統制の取れた大規模な開発が行われていく土地ではなかった。決定的な転機は、明治期になってからだ。新政府側についた薩長土肥とは違って黒田藩は時流に乗り遅れ、新政府からは冷遇。藩が財政的に困窮したことで、藩港が廃れた後、長らくこの地は福岡の歴史の表舞台から姿を消すこととなる。
そして近代において、この港エリアの性格を決定づけたのは、昭和初期に福岡市議会が荒廃していたこの地を産業地として活用するため、「福岡漁港設置及び徳島県九州出漁団誘致に関する建議議案」を可決し、西公園の麓に位置する現在の港エリアを福岡船溜として整備し、徳島県漁業団を誘致したことだ。これを機に、もともとは小規模な港だった場所に、国策として「特定第三種漁港」が整備され、港エリアおよび長浜エリアは港町として本格的に歩み始める。

この歴史的な経緯が、同エリアにおける開発の契機となった一方で、現代に至るまで、大規模な再開発を困難にする根源的な要因にもなっている。というのも、土地の多くが漁業関係者に払い下げられたため、整然とした区画整理は行われず、細分化された土地が複雑に入り組むことになったのである。さらに、このエリアは長らく住宅地ではなく、漁業や造船のための「工業地」として指定されていた。これにより、そもそも住宅を建てることが法的に困難な状況が続いた。正式な規制緩和がなされないまま、近年になってようやくグレーなかたちで住宅化が進み始めたのが実情である。
こうした背景から、市民の間では港エリアに対する特殊なイメージが定着していった。港町にありがちな「物騒なところ」「ガラが悪い」といったやや後ろ向きなイメージが根強く、市民は同エリアを、漁業関係者や倉庫で働く人々、そして長浜屋台街で飲んだくれる酔っ払いが交錯する場所として認識。そのため港エリアは、都心に近く、ロケーションも良いというポテンシャルの高さを正しく評価されることなく、市民から「住む場所」としては長らく認識されてこなかったのである。
西武ハウスの成功
長らく停滞していた港エリアに変化の兆しが見え始めたのは、比較的近年になってからのことである。まず1つ目のきっかけは、日本貨物鉄道(株)(JR貨物)が長浜の中央卸売市場からの鮮魚輸送を取りやめたことだった。これにより市場周辺の土地が空き始め、「空いたらどうする」という議論が開発の機運を少しずつ生み出していった。
また、大きな転機となる可能性があったのは、山崎広太郎・福岡市長時代に、2016年夏季オリンピックの開催地として、福岡市が手を挙げたときのことだ。このときの構想では、港エリアを福岡市におけるオリンピック会場候補地の1つとして、大手デベロッパーなどが周辺一帯の壮大な開発計画を描いていたという。しかし、残念ながら国内開催候補地を決める投票において、ライバルであった東京都に敗れ、福岡市は候補地選定レースから脱落。この計画はすべて立ち消えとなった。
その後、エリア開発の主役として登場したのが、地場デベロッパーの西武ハウス(株)であった。同社はこのエリア(長浜3丁目)に本社を構え、周辺の土地を次々と取得し、マンション開発を進めていった。他の開発業者が「このあたりを開発したところで、成功するとは思えない」と見ていたなかで、同社の「モントーレ」ブランドを冠したマンションを次々と開発。「モントーレセントラルベイコート」(104戸、14年1月竣工)、「モントーレ舞鶴ベイレジデンス」(50戸、19年7月竣工)、「モントーレセントラルベイプレイス」(67戸、22年2月竣工)といった具合でマンションを林立させ、エリア内の風景を大きく変えることに寄与したのである。

なぜ西武ハウスだけが、この困難なエリアでの開発を成功に漕ぎ着けられたのか──。それは、同社の開発対象となった土地の特殊な所有形態にあった。同社が手がけた区画は、幸いにも他の場所のように土地が細かく分断されておらず、地権者の数が少なかった。たとえば法人がブロックに近いかたちで土地を所有していたり、官舎系のアパートがまとまって存在していたりしたことで、権利関係の整理や買収交渉が比較的容易に進んだのである。ただし、この西武ハウスの成功は、エリア全体から見れば極めて例外的なケースでもあることには留意しておかねばならない。
(つづく)
【坂田憲治】

月刊まちづくりに記事を書きませんか?
福岡のまちに関すること、建設・不動産業界に関すること、再開発に関することなどをテーマにオリジナル記事を執筆いただける方を募集しております。
記事の内容は、インタビュー、エリア紹介、業界の課題、統計情報の分析などです。詳しくは掲載実績をご参照ください。
記事の企画から取材、写真撮影、執筆までできる方を募集しております。また、こちらから内容をオーダーすることもございます。報酬は別途ご相談。
現在、業界に身を置いている方や趣味で建築、土木、設計、再開発に興味がある方なども大歓迎です。
また、業界経験のある方や研究者の方であれば、例えば下記のような記事企画も募集しております。
・よりよい建物をつくるために不要な法令
・まちの景観を美しくするために必要な規制
・芸術と都市開発の歴史
・日本の土木工事の歴史(連載企画)
ご応募いただける場合は、こちらまで。不明点ございましたらお気軽にお問い合わせください。
(返信にお時間いただく可能性がございます)