福岡大学名誉教授 大嶋仁
「近江」と呼ばれる地方が浄土真宗の拠点の1つであることは前から知っていた。つい最近、その近江を訪れた。といっても、京都からローカル線で近江八幡を経由し、五箇荘まで行っただけである。
近江八幡でまず一息ついた。駅から徒歩で日牟禮八幡宮に向かう。途中交差点で土地の人に「八幡宮は?」と聞くと、私の言葉が足りなかったせいか、「八幡宮がどうしました?」と聞き返された。「日牟禮八幡宮に行きたいんですが」というと、「このまままっすぐです」と答える。そして、信号が変わると、さっさと行ってしまった。
「八幡宮がどうしました?」という切り返しが印象的だった。この地方では言語をしっかり喋らないとダメなのか、と反省もした。
その人はあっという間に私より20m先を行っていた。だが、あるところで立ち止まり、私が追いつくと、「ここを突きあたりまで行ったら、左に行ってください」と言った。私は礼を言って、その通り進んだ。
日牟禮八幡宮を参拝し、もと来た道を戻ろうと思った。ところが、来た時とは違う道を選んでしまったようだ。それで交差点のところまで来ると、さっきと同じように土地の人らしい婦人に「駅はこちらでいいんでしょうか?」と尋ねた。するとその婦人、「私もそちらに行くんで」とさっさと先へ進む。私はその人を追うかたちになった。
その人との距離はみるみる広がり、その姿がやっと見えるほどに離れてしまった。しかし、もうそろそろ駅に着く頃だと思っていると、今度は歩みを止めて道端にじっとしている。私を待っているのかと気になって近づくと、「この斜め前の道です」とあっさりいう。私に負担をかけないようにと思ったのか、距離を置きながらの案内だった。
近江八幡駅に着くと電車に乗って八日市まで行き、そこで一夜を過ごした。翌日は目的地の五箇荘に行った。目当ては「書聖」と呼ばれる王羲之の書だった。
五箇荘は小さな村のようなところだ。そのようなところに、なぜそのような重要な書道展を開催する美術館があるのか。しかも、五箇荘駅から美術館までの道がよくわからない。
駅前でゴミを収集しているトラックの運転手に道を聞くと、「ああ、それなら左です」と指を差した。ところが少し歩くと案内板があって、そこには書道美術館は右手だと書いてある。人よりは案内板のほうが信用できる気がして右の方向へ歩き始めたが、一向にそれらしきものが見えてこない。
しばらくすると、2人の中年男性が道端で作業をしているのに出会った。道を聞くと、「書道の美術館?ああ、少し遠いですよ」という。そして、そのうちの1人が「ちょっと待ってください」と言ったきり、どこかへ消えてしまった。
1分後に大きなバンが現れ、そのどこかへ消えた男性が運転席から叫んだ。「乗ってくださいよ。口で説明するより、こっちのほうが速いです」と。
その言葉に甘えて便乗し、5分後に目当ての美術館に着いた。なんと礼を言っていいか、わからなかった。
前日の近江八幡といい、この日の五箇荘といい、まるで別世界のようだった。それは「親切」というのではなかった。「温かい」というのともちがう。どの人も、当たり前のことをしているという感じだったのだ。私はそこに心身の奥深くに根づいた宗教を感じた。
美術館見学の後、五箇荘駅に戻り、そこから私鉄で近江八幡に戻った。JRに乗り換えようとして構内のエレベーターに乗ると、ドアが閉まりそうになったとき、初老の婦人が大きな風呂敷包みを抱えてあわてて入ってきた。私がドアが閉まらないようにボタンを押さえていると、「乗ってもよろしいんか?」というようなことを土地の言葉で言った。「もちろんです」というと、今度は意味不明のことをいう。「ワテラ元気やね。オバハンはもうアカン」。
意味不明だったのは「ワテラ」という言葉だ。「私たち」という意味だろうと思ったのだが、それでは話が通じない。あとで調べたのだが、近江では「ワテラ」は「私たち」という意味のほかに、「あなた方」の意味もあるのだそうだ。つまり、その老婦人が言いたかったのは、「あなた方は元気そうだが、私はもうダメなんだ」ということだったのだ。
京都で新幹線に乗り、博多に向かう帰路考えた。あの婦人は「自分」のことも「相手」のことも、自分から見た視線ではなく、相手から見た視線で語っていたのだと合点した。近江の人間が少しわかったような気がした。
もちろん、これはとんでもない誤解かもしれない。「滋賀県人は冷たい」という一般評もある。だが、そうであっても彼ら近江の人々が私の心に焼きついて離れない。「一体、どういう歴史がああいう人間をつくったのか?」そう思ったのである。
(つづく)








