インド視察から学ぶ、インドの時代がくる 歴史のおさらい(1)上海との比較

上海の黄金の期間、1990~2010年

 福岡商工会議所の「インド経済視察ツアー」の案内が届いた際、即座に参加を決断した。筆者にとってインド行きは今回が初めてとなる。視察は1月31日~2月5日までの6日間。香港を経由してバンガロールへ飛び、続いてムンバイを巡る視察コースだ。かつて上海が劇的な立ち上がりを見せた瞬間を目撃したという自負はあるので、その比較ができるだろう──というのが、今回のツアー参加の大きな動機となった。

 90年5月に初めて上海に渡り、浦東地区の開発を目の当たりにして衝撃を受けた。この発展の先にどのような未来が待っているのかと強く興味を惹かれた。浦東開発主任であった黄氏(少数民族)と知り合い、91年9月には、福岡に招き、ホテルニューオータニ博多で講演会を開催。会場には650名もの観客が集まった。地の利=上海は飛行時間2時間で直行できるという交通の便と歴史的な繋がりの深さがあり、当時の福岡経済人たちは強い関心があって、多くの参加者が都合をつけて駆けつけたのだろう。

 世界を牽引していく上海のインフラを含めた都市機能の大激変が進み、その集大成として披露されたのが、2010年の上海万博だった。ここで少し筆者の自慢話を披露したい。上海政府(労働局)から10名、万博へ招待を受けた(交通費のみ負担)。参加者10名は全員、歓喜した。上海へは幾度も経済視察を組織してきた。その結果、上海で事業基盤を形成して成功した福岡の企業メンバーは数多くいる。

 1990年からの上海の都市改造を振り返ってみよう。まずは浦東国際空港の完成が挙げられる。従来の空港は虹橋空港だったが、上海南部中心街にあって、狭い空港だった。虹橋空港経由で3回、上海に渡ったのが懐かしい。まず何よりも福岡都市高速道路と同じく上海幹線道路が瞬く間に開通した。ホテルに泊まっていて深夜に「カンカン」という音を聞いて目が覚めたこともたびたびあった。徹夜で工事がなされていたのだ。地下鉄工事のスピードも速かった。地下鉄も、人民広場を中心に東西南北へと瞬く間に張り巡らされていった。今から思えば一瞬で完成した感じだった。

 そうこうする内に浦東地区の都市建設の全貌が明らかになってきた。日本を代表する森ビルも立ち上げてきた。虹橋地区では中国全国に網羅した新幹線の発着駅が完成した。そこで当社では上海視察旅行を2回企画した。まず浦東では高層ビルにある某ホテルの53階から87階までの吹き抜けの雄大な眺めに全社員が圧倒された。さらに虹橋の新幹線ターミナルから揚子江沿いに上り、南京まで一瞬で辿り着いた。

 当時の南京は、かつての城壁の一部が残るなど封建時代の面影を色濃く残していた。この凄まじい上海周辺の近代化における激変ぶりは1990年から2005年の15年間に基盤が整備されたのである。驚くべきスピードであった。しかし、コロナ禍の襲来に対して上海のディフェンスは無力であったために元気さを失ってしまった。

一方、インドのインフラ整備のスピードは遅すぎる

 インド経済の発展には感服する。しかし、経済発展のスピードと比較するとインドのインフラ整備における工事のテンポは非常に鈍いし(上海を目撃していたのは今からいえば30年前のことだ)、工事手法が非常にお粗末である。この状況に対する対応、ビジネスチャンスは無限にある。このビジネス策については具体的な手法を後述する。

 インド政府にとって最悪の策は交通政策である。今回はバンガロールとムンバイしか見ていないが、直感的に「これは交通事故の死亡者が膨大に発生しているな」と思った。道路の信号設置は微々たるものだ。当然、ラッシュ状態の車の群れをかき分けて人は横切ることを余儀なくされる。調べてみたら交通事故死亡者は年間16万人を超えている。中国は6万人、日本は2,000人台。インドはまず国民の命を守る交通行政を確立しなければ世界から物笑いの種となるだろう。

 どうであれ1990年から始まった(もう35年の月日が過ぎている)中国の交通関係のインフラ整備には全国視点の戦略があった。たとえば新幹線・高速道路建設のスピードは速かった。ところが市場性を顧みなかったことで新幹線の赤字路線が続出している。インドも「中国の過去の手法を徹底的に研究し尽くせば好結果は間違いない」と思う。

 今回の話の結論は次の通りだ。

問 :インドの経済躍進にビジネスチャンスはあるか?
回答:大いにチャンスあり。逃さざるべし。

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