江学勤の現代地政学(2)江学勤のトランプ観

福岡大学名誉教授 大嶋仁

 江学勤の地政学の方法は彼のトランプ観に端的に現れる。その骨子を示すと以下のようになる。

「70年前から基本方針が決まっている企業に、外部から社長として招聘された人間を想像してほしい。いかにカリスマ性があろうと、企業にとっては広告塔に過ぎない。トランプが再選されたとき、多くの人は『彼が戦争を止めてくれるだろう』と期待した。彼自身もその気だった。しかし、アメリカには第二次世界大戦以降ずっと続いてきた世界戦略システムがあり、その枠を越えることはどんな大統領にもできない。そのシステムは一部の超富豪やCIA、イスラエル・ロビーや軍需産業の大物たちに支えられているのだ。誰が大統領になろうと、だから何も変わらない。」

 この論自体は政治学者のミアシャイマーや経済学者のサックスが「ディープ・ステート」として指摘してきたものと変わらない。ただし、この2人がトランプにこれを打ち破ることを期待したのに対し、江学勤は「個人がそれを打ち破ることはあり得ない」と見る点が違う。彼のシステム理論からすれば、システムには必ず終わりがある。システムは、それを支える構造が崩壊するとき終わりを迎えるというのである。

 江学勤が得意とするのは、システム理論(彼自身は「ゲーム理論」と呼ぶ)を地政学の場に応用することである。「氷山の一角を見て、氷山の全体を視覚化すること」をあらゆる世界情勢に当てはめている。

システム理論はエンジニアリングやビジネスの世界で応用されることが多いが、国際関係にこれを応用するのは難しいと言われてきた。しかし、国際政治は勝敗を分ける国どうしのぶつかり合いである。これにこの理論を応用しないわけにはいかない。

 この理論が数学と結びつくと勝敗確率や近未来の予測も可能となる。だが、江学勤は数学が不得意なのか、それとも一般人には難しすぎるという判断からか、いずれにせよ数式を用いて説明することがない。

 そういうわけで、彼が地政学的未来を語り、それがかなりの確率で正解に達していることは、彼が数学を用いていることの証にはならない。私には、彼には特別な直観があって、それで正解に達することが多いのではないかと思う。

しかし、直観といっても、頭のなかにあらかじめ世界史が紛争の連続体としてインプットされており、同時にまた世界の多様な文明の在り方がその歴史的経緯とともにインプットされていなくては機能しない。彼の言説の端々に、高度に構造化された情報のインプットの痕跡が見られるのである。

 中国文明を知る私に言わせると、江学勤には『三国志』に登場する「軍師」の面影がある。諸葛亮とか司馬懿のような軍師の「先見の明」に類するものが彼にも感じられる。いくら北米育ちとはいえ、江学勤には文化大革命を嫌った両親を通じて、古の中国の知恵がインプットされているはずだ。彼の強みは、中国の古さと北米の新しさの危ういバランスの上に成り立っているように思われる。

 ところで、トランプは大統領1期目のときは「ディープ・ステート」にかなり抵抗できていたように見える。これについては江学勤も認めており、そのときはこの型破りの大統領に対する免疫が彼の側近たちになかったからだと言っている。しかし、2期目ともなると「もうトランプの好きにはさせない」という予防線がしっかり張られ、トランプはほとんど身動きできない状態になっているというのだ。いくら動こうとしても、背後から目に見えない糸で引っ張られ、元の位置に戻ってしまうのである。

 江学勤はトランプの2期目の運命を決定づけたものとして、マルコ・ルビオを国務長官にしたことを挙げる。このキューバ系アメリカ人は、自らが「反キューバ・反ロシア・反中国・親イスラエル」であると売り込むことで生き延びてきた人物で、ディープ・ステートにとって最適の人物だというのである。その彼をトランプは(熟考せずに)国務長官に据えた。そうなれば、トランプが何を言おうと、外交路線は既定通りに進むことになるのである。

 ここで私見を述べさせてもらえば、トランプは1期目のとき「アメリカ・ファースト」を掲げていた。これは一種のモンロー主義宣言で、アメリカは自国の利益を優先し、世界各地の紛争に巻き込まれないようにするという意味合いであった。ところが2期目となると「メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン」(MAGA)と変わり、モンロー主義は消え、帝国主義が露わとなっているのである。

 この変化がトランプ自身のヴィジョンの変化なのかどうかはわからないが、彼がこの時点ですでにディープ・ステートの力に屈していたことはいえると思う。

江学勤に話を戻すと、彼は2024年の段階で翌年のトランプの再選も、トランプの2期目にイランとの戦争が起こるとも予測した。本人は自分は「預言者」ではなく「客観的な分析」を行うことで未来が予測できることを示そうとしているだけだというのだが、はたしてそうか。

(つづく)

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