身体をもたない知能「AI」(3) AIに意識は生まれるか~脅威論の落とし穴と人間に残されるもの
福岡大学名誉教授 大嶋仁
身体から生まれる情動と意識
脳科学者のなかで、身体の重要性を強調するアントニオ・ダマシオの立場は特筆に値する。というのも、AIと人間の脳の違いを考える場合、この「身体」の存在がカギとなるからである。誰にも明らかなように、AIはたとえ人間の脳に模したものであるにせよ、身体をもたないという点で人間の脳と決定的に異なる。この違いはあまりにも当たり前なのか、しばしば忘れられる。
デカルトの機械論的な心身論を徹底批判し、スピノザの心身並行論の立場を賞揚するダマシオは、知能の源泉の「意識」を、外界が身体におよぼす結果として生じる「情動」に発するものとしている。つまり、いくら脳があっても、身体なくして意識は生じ得ず、従って知能も生まれないというのである。このような「身体→情動→意識」というプロセスは、脳を「真似」てつくられているというAIにはまったくない。AIと脳は、この点で本質的に異なると言わざるを得ない。
AIの意識を語ることへの疑問
「AIの育ての親」といわれるヒントンなどのAI製作者たちは、人間の脳の一部分だけを基にしてプログラムを組み立てているのだが、にもかかわらず、彼らは人間の脳のようにAIも「意識」をもつようになると言っている。この主張は比喩としては理解できても、似て非なるものの「非」の部分を故意に見落としているように思えてならない。
同様に、彼らのAI脅威論も、皮肉な見方をすればAI賛美の裏返しではないかと思われる。AIの脅威を強調することで、かえってAIへの関心を高める効果を狙っているとさえ見えるのである。もっとも、当のヒントンがそれを意識しているかどうか、そこはわからないが…。
ヒントンのように長年この分野に携わっていると、その前提部分が見えなくなってしまうということも考えられる。AIの前提にチューリングの主張した「計算可能性」の問題があることを、彼は忘れているかもしれない。ヒントンはチューリングが「計算可能」領域と考えたものを宇宙大に拡大できると信じているように見える。計算可能領域が拡大すれば、それと比例して「計算不可能」な領域も膨張し続けるという見方は、していないようなのである。
AIの原理的限界を知る
以上のようにAIの原理的限界を示すことは、AIの脅威を大げさに考える一部の人々にとっては慰みとなるかもしれない。そういう人たちは、すべてにおいて「AIが人間の脳に勝利するかもしれない」と恐れているのだが、これは根拠のない恐怖だというべきである。もちろん、AIが多くの人から仕事を奪うことは大いにあり得る。しかし、これは人類にとっての新たな挑戦なのであって、AIは万能ではないと知るべきである。
AIの強みは人類に新たな思考の次元を与えることにはない。人類がしてきた煩雑な仕事を驚くべき速さでやってのけることにメリットがあるのだ。このことをしっかり心に銘記しておくべきであって、無用な脅しに容易に屈してはならない。
こういうことをいうと、あなたは「楽観的」に過ぎる、生成AIが進化すれば、私たちの意思とは無関係に勝手に自己形成をする、そうなればAIは「私たちの敵」ともなり得る、そう主張する人も出てきそうである。しかし、AIを敵と見るか否かは、所詮はこちらの見方次第だろう。むしろ、「敵か味方か」という二分法には落とし穴があることを自覚したほうが良いのではないか。AIの原理は、まさにこの二分法にある。
人類は技術革新に適応してきた
なお、AIの普及によって多くの人が仕事を奪われると言ったが、私にすれば、人類の歴史は挑戦の歴史なのであって、たとえば産業革命によって人類社会が本質的に変わったにしても、これに対して人類は適応し、あるいは反抗し、あるいはそのマイナス面を緩和する努力をしてきたのである。情報技術革命の場合も同様で、私たちは生命ある限りにおいて、これとなじむ努力を続けている。おそらく、AI革命に対しても同様のことがいえるのではないかと思うのである。
AIを脅威に感じている人たちは、AIの弱点を見抜き、AIにできないことをする努力をすべきだろう。でなければ、AIを抱きかかえて自滅を選択するほかない。
理詰めを離れた人間の直観
AIに対する挑戦ということでいえば、日々これと戦っているプロ棋士たちのことが想起される。私の印象に残っているのは、頭脳明晰にして言論明快の羽生善治のAIについての感想である。彼はAIの強さを認めながらも、AIと戦っていると「良い手が思い浮かばないことがしばしばある」と言っている。
そして、そういうときは思い切ってAIを離れ、友人たちと集まってビールを飲み、「くつろぐひと時」をもつのだという。すると不思議なことに、「思ってもいなかった良い手」がふっと浮かんできたりするのだそうだ。そこでいう「良い手」が具体的にどういうものであるかはわからないが、おそらく「理詰め」ではなく、「定石」を離れた直観によるものなのだろう。そのような手が突然頭に浮かんでくることが、AIに勝つには必要だということのようだ。
(つづく)








