2024年04月14日( 日 )

元木昌彦

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「平成挽歌―いち編集者の懺悔録」(13)
「平成挽歌―いち編集者の懺悔録」(13)
胸を張っていえることではないが、このジャパングリッシュを生み出したことで、現代だけでなく、ポスト、宝島(光文社から出ていた週刊誌。後に休刊)、アサヒ芸能、週刊大衆など多くの週刊誌が部数を伸ばし、平成9年(1997年)まで続く週刊誌第二期黄金期を迎えることになったと、自負している。
企業・経済 一般 平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録
「平成挽歌―いち編集者の懺悔録」(12)
「平成挽歌―いち編集者の懺悔録」(12)
汗が体中から噴き出してくる。冬近い晩秋の街を走るタクシーの中は涼しいはずなのに、私の頭も顔も背中も、汗水漬くである。おまけに、講談社が近付くにつれて動悸が激しくなる。田中角栄邸を過ぎて横道に入り、大塚警察のところを曲がれば社だが、私は運転手に、「申し訳ないが、もうしばらく走ってもらえないか」と告げる。
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「平成挽歌―いち編集者の懺悔録」(11)
「平成挽歌―いち編集者の懺悔録」(11)
7月9日、ジャニーズ王国を一代で築いたジャニー喜多川が亡くなった。享年87。翌日のスポーツ紙は全紙、一面全部を使って賛辞を贈り、彼の死を悼んだ。同じ日の朝日新聞も一面で彼の死を大きく報じ、第二社会面でもジャニー喜多川の「評伝」を掲載した。
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「平成挽歌―いち編集者の懺悔録」(10)
「平成挽歌―いち編集者の懺悔録」(10)
編集部の床の上に鮮血が小山のように盛り上がっていた。朝、10時を少し過ぎた頃、やくざ風の2人組の男がずかずかと入って来て、アルバイトの女の子に、「編集長はいるか?」と聞いた。
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「平成挽歌―いち編集者の懺悔録」(9)
「平成挽歌―いち編集者の懺悔録」(9)
幸福の科学事件に触れる前に、ビートたけしの率いる「たけし軍団」がフライデー編集部に乗り込んできた事件の「後日談」について書いておきたい。この事件をきっかけに、写真週刊誌の取材手法に批判が集まり、部数が激減したことは前に書いた。野間惟道社長(当時)がこう表明した。
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平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(8)
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(8)
フライデー編集長は森岩弘。雑誌全体の流れを掴むのには進行係がいいだろうといわれた。まあそうだろうなと了解した。進行表をつくり、毎朝、各担当者が間違いなく入稿したかを確認して、印刷所に送る仕事である。
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平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(7)
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(7)
講談社はオーナー企業である。上場はしていない。小学館、新潮社もそうだが、菊池寛がつくった文藝春秋はそうではない。したがって派閥ができる。オーナー企業は、社長にはなれないのだから、派閥はできないが寵愛人事や発作的人事がまかり通ることがある。
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平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(6)
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(6)
今回書くのはカネにまつわる話だが、決して告発しようというのではない。いかに講談社という会社が今とは違って、すべてにおいておおらかだったかを示す証左として書いておこうと思ったのだ。私など到底敵わない編集力や人間力を持った先輩たちがいた。筆頭は牧野武朗であろう。
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平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(5)
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(5)
中西ミツ子は私にこういった。「今の心境ですか?私の人生だから、やらないで後悔するよりも、やって後悔したかった。私も必死だったし、宇野さんも必死だった。計算なんかできなかった。結果は、私にとってもプラスにならなかったけど、あの時やった、そのことに意味があると思っています」
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平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(4)
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(4)
昭和が終わった日のことはよく覚えている。1月7日、土曜日。私は地下鉄東西線「落合」駅から中山競馬場へ行こうとしていた。駅へ降りる前に念のためラジオをつけた。君が代が流れてきた。競馬は中止になった。
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平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(3)
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(3)
講談社入社以来、平成13年(2001年)に子会社にすっ飛ばされるまで、銀座のクラブや新宿のゴールデン街を含めて、呑み代とタクシー代は一番使った。
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平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(2)
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(2)
お袋にビジネススクールに行くとウソをついて、当時新宿にあったバーテンダースクールへ通い出したのは、大学1年の秋だった。カ…
企業・経済 一般 平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(1)
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(1)
「朝マラは今日の仕事のバロメーター」私が講談社に入って最初に配属された部署、月刊現代で、いきなり編集長に呼ばれて見せられ…
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