2024年04月26日( 金 )

300倍の差が付いた法螺吹き対決~玉木康裕(タマホーム)× 孫正義(ソフトバンク)

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福岡出身傑物の2人

 「法螺吹き」として有名な孫・玉木両氏は、法螺を吹いた後、必ず事業として骨肉化してきた。福岡出身者としては、誰もが求める傑物両人であるとみられる。孫正義氏は1957年8月11日生まれ近々59歳、佐賀県鳥栖市出身。玉木康裕氏は1950年1月4日生まれ66歳、福岡県筑後市出身。2人の間には7歳の開きがある。鳥栖市と筑後市との距離は約25kmあるが、東京の人間から見れば同郷人とみられる。このライバルの2人の間には、「天と地」ほどの格差がついた。

 総資産で比較すると、ソフトバンクの総資産が20兆円、タマホームの総資産が750億円だ。300倍弱の開きとなった。今後の展望として、孫・ソフトバンクはリスクを背負いつつも、グローバル企業の先端を担う立ち位置を確保した。一方の玉木・タマホームは、ピークを過ぎて下り坂をたどるのみとなった。その違いは何か―。孫氏は“私”を捨てて、本気で100年企業へ挑戦し、市場価値1,000兆円に挑戦しているからである。玉木氏の場合は、あくまでも「一族繁栄」のみの志しか持ち合わせていなかった。その限界が露呈されたからとみる。

玉木康弘氏の法螺を聞くのが楽しかった

tamahome 福岡発の住宅会社として、東証一部上場企業にまで大躍進させた玉木康裕氏の指導力には感服している。昔々、「玉木節」を聞くのが本当に心地良かった。2004年頃、玉木氏が頭角を現し出した時点からよく講話を承った。まずは玉木家の由来から始まって、「住宅業界の天下を取る」という野心話も痛快に聞かせてもらった。一事業を起こしたばかりの一介の経営者が語る「セキスイ、ダイワ何するものぞ!!いずれ追い抜く」という野望を耳にすると、少しでも志ある者は、我がことのように支援したくなるものである。これが人情というものだ。

 たしかにこの頃の玉木氏は、法螺を吹いてもすぐに結果を出していた。成果を上げ続けていた。当時、坪単価40~50万円と言われた時代に、坪単価25.8万円(消費税込)を前面に打ち出し、ユーザーの心をつかんだ(最廉価仕様の金額のために、実際の受注金額は高めになる)。
 住宅業界では、「価格破壊のホームビルダー」という印象を上手に植えつけた。また営業マンよりも広告に重きを置く戦略も当たった。展示場をつくり、テレビCMを中心に集中的に広告を打つことで集客を高めた。

 この頃の玉木氏の頭には、「広告費をいくら打てば、何棟契約できる」という閃きがあったようだ。売上は急増し、筑後市から福岡市に本社ビルを購入して本店移転、瞬く間に大阪にビルを買い、またまた本社を移転する。これまた一瞬にして、東京都港区高輪にビルを購入し、本社移転を果たした。注文住宅建設業は、受注が増え売上が増加すると資金回収が先行する。手元資金が潤沢になり、先行投資が可能になるのである。そんな玉木氏は07年11月に、筑後市商工会議所会頭に就任する。「忙しい身でありながら、地元にも貢献する心意気はすごい」という評価が定まった。玉木康裕氏の人生にとって、最高の評価を得ていた時期であった。

上場することだけが目的だったのか?

softbank2 現時点で振り返るに、この大躍進して資金潤沢な時期に、しっかりとした大義の旗の下に「タマホームの10年、20年の事業計画」を策定すべきであった。目の前に山積みしてあるキャッシュを安易に露出させたことが、後悔されるのではないか!!

 現在、当時投資した事業で、まともになっているのは見かけられない。2007年が玉木氏のビジネス人生のピークと指摘した。表面上の事業ピークは、その5年後の12年5月期1,696億円の売上である。
 13年3月上場を果たすが、売上は下降線をたどる。16年5月期には1,384億円と、ピークから312億円の減収になっている(20%近い減収率)。

 当然、タマホームの先行きは厳しい。どういう打開策を打つのか注目される。しかし、成功の体験を捨ててまでも、抜本的な対策が講じられるとは思えない。結論から言えば、玉木氏の経営ゴールは「上場すること」であり、その先のプロジェクト構想が皆無であったのではないか!!「上場してキャピタルゲインを得る」という私的動機しかなかったのであろう。
 その点、総資産で300倍の開きを持つ孫正義氏は、ケタが違う。

 

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