2024年05月08日( 水 )

浅田真央、「国民の妹」からひとりのスケーターへ

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

 4月11日、テレビやインターネットは「浅田真央引退」のニュースで持ち切りだった。2010年バンクーバー五輪では終生のライバルといわれたキム・ヨナ選手の後塵を拝する形で銀メダル。形の上での彼女のピークはこの時ということになるのだろうが、日本のフィギュアスケートファンにとってはこの銀メダルはあくまで到達点に過ぎない。浅田真央について語るとき、多くの人は彼女が彗星のようにリンクに現れた日から今日までのすべてを脳裏に浮かべる。人々にとって浅田真央とは、一人の天才少女がリンクの上で躍動し、成長し、傷つき、栄光をつかみ、そしてついにシューズを置くまでの、ひとつのビルドゥングスロマンなのだ。

 フィギュアスケートの選手は、デビューこそ早いものの長く活躍するのは難しい。特に女子選手の場合に顕著だが、肉体の成長に伴って伸びた手足や増えた筋肉が体全体のバランスに大きな影響を与えるためだ。ジュニア時代に飛べていたジャンプやスピンが、シニアへの成長の過程で困難なものになっていく。この壁を乗り越えられずに一線級から外れていくスケーターが数多いなかで、浅田真央は02年に特例として出場した全日本選手権から初めての正式出場を果たして2位入賞した05年、そして3位に入った16年まで、ケガによる欠場や休養期間をのぞいて常に日本を代表するスケーターであり続けた。

 浅田には、長く注目を浴び続けていたスター特有の驕りはほとんどない。それは、引退会見を見ても明らかだ。レポーターの愚にもつかない質問にも丁寧に応じる。スケートに対しても、他のあらゆることに対しても、真摯で誠実な態度こそ、多くの人々に愛されてきた理由でもあるだろう。ライバルのキム・ヨナはかつて韓国では「国民の妹」と呼ばれて大人気を博したが、浅田真央は日本人にとって真面目な妹であり、まっすぐな娘でもあったのだろう。

 その浅田も26歳。今、ピョンチャン五輪への切符をかけてしのぎを削る若い選手たちから見れば、「子どものころから見ていた憧れの選手」だ。スケーターたちの間ではすでに偉大な実績を誇るアイコンとなっていた浅田は、引退を機に日本人の妹でも娘でもなくなり、ひとりの女性として新しいスタートを切る。願わくは、高橋大輔や荒川静香ら先輩たちのように、アイスショーなど競技を離れた場で彼女が磨いてきたスケーティングを披露してほしい。ひとりのスケーターとして、フィギュアスケートを心から楽しむ姿を見せてほしいものだ。

【深水 央】

 

関連記事