2024年04月27日( 土 )

【霧島酒造】20期ぶり減収でも生産能力強化 市場低迷加速による寡占化に備える(2)

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霧島酒造(株)

参入障壁の高さが淘汰加速の一因に

 主力商品である焼酎は基本的に限定された地域消費が中心になり、その範囲は極めて狭い。そんな商品特性を克服して、霧島酒造の本格焼酎の生産高は約52万石(約9万4,146kl、1石約180L)。これは全国の本格焼酎生産量45万klの約20%を占める。霧島酒造が全国焼酎生産量に占める割合は“地域生産がそのまま地元消費される”という本格焼酎の消費形態から見ると極めて特異だ。ではなぜ霧島酒造がこのようなポジションを手にすることができたのであろうか。

 もともと免許と規制で厳重に国の管理を受ける酒類製造メーカーは新規参入が難しい。それに守られたこともあり、長い間多くの「蔵元」がその命を保ってきた。だが、08年のリーマン・ショックを経ての景気後退に加えて、若者を中心としたアルコール離れが顕著になり、地方の小規模蔵元の廃業が始まった。どんな業種でも常に変化する経済環境の影響を受け、その変化にいかにうまく対応するかで企業存続の可否を決めるが、大きな社会的環境変化もそれがそのまま企業業績に影響するわけではない。1960年代後半から地方から都市へ人口移動が始まったが、高度成長の好景気、若年労働人口の増加もあり、焼酎の消費はむしろ伸び続けた。さらに健康ブームに乗り、サツマイモからつくられる焼酎も人気となり、むしろその業績は好転さえした。しかし、消費特性の変化したことで、ある時まで絶対的な地元の支持を受けてきた「地方酒造メーカー離れ」が起きたのである。

 “地域の嗜好”で支えられている地元の酒類(焼酎も)は地域外への販売は限定されるため、生産もそれに合わせた量になる。拡大の見込めない生産は革新を生まない、いわゆる現状維持に終わってしまうことが往々にして見受けられ、“長年の地元からの支持は永遠に不変”と勘違いをする「蔵元」もあったであろう。変化を予測しない者に変化への対応はできない。

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リスク覚悟の攻めで販売先確保

 霧島酒造の場合、思い切った販売エリアの規模拡大を選択した。いうまでもないことだが規模拡大にはリスクがともなう。まず、“地域志向”の強い「本格焼酎」の販売エリアが本当に拡がるかどうかだ。失敗すれば拡大にともなう人的、設備的コストが無駄になり、たちまち雇用と企業存続に関わる大きな問題を生む。

 より重要なのは、販売エリアの拡大が成功した場合の十分な商品供給能力を備えていることだ。拡大する販売・消費需要量に合わせた生産は簡単ではない。少量の限定商品の品切れは影響が少ないが、量販ブランド商品の品切れには問屋、小売業者ともに厳しい。ひとえに販売エリア拡大といっても、とてつもない“勇気”と徹底したマーケティングリサーチが必要ということだ。

 また、販売エリア拡大に際しては、その商品をより広く知ってもらうための広報活動が必要であり、とくに大消費地や“地元製品の牙城だった地方”への浸透をはかるため、サンプル配布や小売店での試飲といった地道な努力やテレビCMを打つなどのアピールは欠かせない。消費者はその商品に感動すればそのリピーターとなり、結果として地元の商品は影響を被ることになるのだ。地元商品と新規参入商品の戦いは、より高い品質に挑戦する企業に分があるのは明らかだ。人間は“比較の動物”であって、良いと思えば消費者はいとも簡単に新しい商品に乗り換えるのだ。地元の根強い支持だけに頼るなど旧態依然とした企業で、しかも品質も劣るとなれば、あっという間に新規参入企業に追い越されてしまう。各地方にある小規模蔵元の業績が極めて厳しくなっているのはこういうことなのだ。

 販売エリアを拡げるといっても霧島酒造の場合は、いきなり首都圏へ進出するといった戦略は取らず、“足下はあくまで足下”で“地元”が基本だ。霧島酒造の地元エリア(宮崎県都城市)に一番近い大消費地は福岡市で、鹿児島、宮崎の出身者も少なくない。

 さらに福岡市の経済は“支店経済”ともいわれ、全国の多くの大手企業が支店や営業所を構える。また、九州最大の歓楽街の中洲もあり、新たな市場開拓には最適の環境だ。

 霧島酒造は九州最大の乗降客を誇る博多駅で商品の無料頒布を行った。卸会社や福岡支店を介してのアピールにも力を注いだ。その結果、今では黒キリは福岡市でも広く知られるブランドになっている。

(つづく)
【神戸 彲】

<COMPANY INFORMATION>
代 表:江夏 順行
所在地:宮崎県都城市下川東4-28-1
創 業:1916年5月
設 立:2014年3月
資本金:300万円
売上高:(18/3)659億118万円

<プロフィール>
神戸 彲(かんべ・みずち)

1947年、宮崎県生まれ。74年寿屋入社、えじまや社長、ハロー専務などを経て、2003年ハローデイに入社。取締役、常務を経て、09年に同社を退社。10年1月に(株)ハイマートの顧問に就任し、同5月に代表取締役社長に就任。流通コンサルタント業「スーパーマーケットプランニング未来」の代表を経て、現在は流通アナリスト。

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