2024年04月27日( 土 )

子育て支援、移住促進で人口減少に歯止め 地の利を生かしてまちづくり進める基山町(前)

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 佐賀県三養基郡基山町は、佐賀県と福岡県との県境にある町だ。隣には物流の拠点・佐賀県鳥栖市がある。JR鹿児島本線の駅のけやき台駅、基山駅があり、電車を使えば福岡市まで30分以内でアクセスできる。また、南に目を向けると久留米市があり、そちらへのアクセスも良好という立地だ。平成の大合併でも独立した道を選び、魅力あるまちづくりに取り組んでいる。

売薬で名を馳せた対馬藩の飛び地

天台宗の古刹である基山町の「大興善寺」

 佐賀県と福岡県の県境の町、佐賀県三養基郡基山町。1万7,000名ほどの町民が暮らす、のどかな町だ。ここはかつて、対馬藩の領地であった。対馬藩は地理的条件から、古くから朝鮮半島との交流が盛んで、朝鮮・中国の文化にいち早く触れることができる特徴があった。その対馬藩の飛び地である基山町も、とくに薬において独自の地位を築いていた。

 長崎街道の宿場町であった田代地区(現在の鳥栖市にまたがる)では、今でいう置き薬の先駆けとなる「田代売薬」と呼ばれる薬の販売を手がける業者があった。4人の元締めのもと、500名もの売り子が全国で薬の販売を手掛けていたとされている。時代が進むと個人の置き薬から企業経営化されてゆき、農業・窯業と並ぶ佐賀地域の一大産業として売薬が盛んになった。基山町には現在も、約20名の配置薬業者が現役で活躍している。

 こういった背景のもと、平成の大合併でも独立した町として歩むことを選んだ基山町は、福岡・久留米地域といった大消費地に近いことと、物流拠点である鳥栖市の隣であるといった立地の優位性により、宅地開発が進められた。その結果、1945年には8,744名だった人口は2000年には1万9,176名(国勢調査を基に基山町発表)にまで増加。だがその後、宅地開発が一段落したこともあり人口は減少へと転じ、現在では若者の減少や高齢化などが進み、14年には消滅可能性都市に数えられることとなった。

住みやすい町 暮らしやすい町

 人口の減少は、町の活力の低下につながる。16年2月に基山町長に就任した松田一也氏は、町の現状を次のように語る。

 「きやまニュータウンやけやき台などの大規模な戸建団地が、平成の初めごろに完成しました。完成当初、多くの子育て世代の家族が町に住んでいただくようになり、99年には人口は2万人に迫るほどになり、30年間で人口は2.1倍にまで膨らみました。けれども、その家族の子どもたちもやがて就学や就職、結婚により町を後にしていきます。直近の18年間では、基山町の人口は約1,800名も減少しました。この流れを食い止めるべく、さまざまな施策に取り組んだ結果、18年には人口が増加することが予測されています」。

(つづく)
【柳 茂嘉】

 
(後)

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