2024年04月25日( 木 )

復興は進んでいるのか、判断難しい線引き~朝倉市の現在(後)

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自立したコミュニティを目指す

被災地へ災害救助に入った自衛隊とのつながりは今も続く

 九州北部豪雨の発生時、避難した被災者が1カ所に集中したことで、混乱を極めた杷木コミュニティ。あの日から2年が経過した現在、被災時の経験を生かして、市に頼らない自助自立のコミュニティとしての歩みを始めている。

 「災害当時は、市の対応の遅さに苛立ちもしましたが、後に市の状況を知って、市側も厳しい状況にあったことがわかり、今では納得はしています。ただし、また同じような事態に陥った際、市からの迅速な援助は期待できないとも考えました。そのため、杷木コミュニティでは今年7月5日、グリーンコープ生協と独自に協定を締結し、災害時の食料や生活必需品の提供に加え、さらにはボランティアの派遣にも協力してもらえるようにしました」(杷木コミュニティ関係者)。

 災害を教訓化し、自ら防災意識を高める杷木コミュニティ。これが組織としての自信にもつながり、杷木コミュニティは朝倉市に対しても、積極的に意見を述べるようになっている。

 「年間50万円の家賃補償も、当初は単年度の支給だったものを4年間に変更してもらいました。また、朝倉市以外の場所に居住する場合は家賃補償を出さないという話でしたので、これも変えるよう提言しています。我々コミュニティは、無償のボランティア活動組織ですが、今後は市と交渉して、有償化したいと考えています。わずかな金額でも構いません。そうでもしなければ、これから先、誰もやりたがらないからです」(杷木コミュニティ関係者)。

 被災者に寄り添うことや、コミュニティの再生と発展に向けた取り組みなど、各地域のコミュニティが担う役割は多岐にわたる。人口減少が避けられないなか、有償化は不可避の流れとなるだろう。

 「杷木コミュニティは、100戸程度のコミュニティです。九州北部豪雨を機に、多くの人が市内の他エリアへと引っ越されていきました。コミュニティを維持していくためにも、1人ひとりが自助自立の意識を高めることが必要です」(杷木コミュニティ関係者)。

 朝倉市を襲った九州北部豪雨の発生から2年――。市、コミュニティ、そして被災者と、それぞれが復興に向けて歩みを進めているが、そこに至るまでの道程は三者三様だ。市は復興後を見据えた新しいまちづくりを計画し、コミュニティは復興を契機として地域防災力の強化に取り組んでいる。被災者はその罹災の度合いにより各々向き合い方が異なるため、一概に語ることはできないが、それぞれが何らかの決断を下し、前に進むことでしか変化は生じない。

 災害からの復興はいつ完了するのか――。その線引きは、当事者らが自ら行うよりほかないのだ。

災害発生時の対応を次世代につないでいくことが大切だ

(了)
【特別取材班】

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