2024年04月19日( 金 )

珠海からの中国リポート(13)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

共和国

 珠海ではいろいろな人と出会う。メキシコからきているD先生からも、私は多くを学んでいる。穏やかで、50を超えているのに風貌のみならず、頭脳の回転も若々しい。では、この人、何しに中国まできたのか? 

 本人曰く、「メキシコではいい仕事がなかったから」。本国で就職できず、中国の大学に就職する例はすでに何人も見てきた。日本の若き知的労働者も、今や中国各地に職を得ていると聞く。

 D先生は母国でも期待の星であったにちがいない。バランス感覚に富んだ、視野の広い学者である。彼が中国で目指すものはなにか。「ラテンアメリカと中国の関係を緊密にしたいのだ」と本人はいう。そのために、ラテンアメリカの政治経済の現状をまとめる作業にかかっているそうだ。

 彼は中国人にラテンアメリカをもっと知ってもらいたいと願っている。そのために、頼まれもしないのにラテンアメリカ・セミナーを設け、学生たちにラテンアメリカの地理と歴史を教えている。大学側は彼にスペイン語の授業を受け持たせようとしたが、「自分は語学教員ではない」と断ったそうだ。そして大学側の了承を得て、論文作成の手順を教えている。

 一体、どうしてそこまでするのか?「中国の学生は素直で、よく勉強するけど、研究というものがわかっていない。これではもったいないので、問題設定から論文作成まで、基礎的なことを教えています」

 このような誠実な外国人教員が多いとはいうまい。伝統的な教育方式にとらわれてきた中国人教員よりも、外国人の方が助け舟を出せるということは十分あり得るのだが、そういう自覚をもって中国にきている人は決して多くない。単なる「出稼ぎ労働者」は跡を絶たないのだ。

 高額の給料をもらっているくせに、事あれば中国のシステムを批判してはばからない「無礼者」も見かける。そうした「悪人材」は欧米人に多い、とある中国人の事務員は言っていたが、中国人にとってアジア人の方がやりやすいことはたしかだろう。

 D先生に話を戻すと、彼の中国観はその隣国のアメリカ人とはかなり違うようだ。メキシコの政治は紆余曲折を経てきたが、左派であろうと、右派であろうと、隣国のアメリカとどう向き合うかが最重要課題である。その点でのD先生の立場はというと、穏健な反米=親中派といったところか。

 彼は言った。「世界史は今のところアメリカの支配で展開しています。その点で、中国の存在は大きい。世界史の流れを変えようとしているからです。『一帯一路』という構想は世界史への挑戦です。アメリカの圧倒的支配から逃れたいラテンアメリカにとっては、ある種の救いなのです」

 このような見方は中近東やアフリカの国々でも共有されているようで、中国がイランやアラブ諸国、さらにはアフリカ諸国と親密な関係を築こうとしている結果かもしれない。私の所属する国際翻訳学院も、アラブ研究センターは人材的にかなり充実している。東アジア研究センター、ヨーロッパ研究センター、ラテンアメリカ研究センターとあり、ないのはアフリカ研究センターぐらいである。

 D先生はこんな面白い話をしてくれた。

 「学院には共産党所属の事務長がいますよね。あの人がある日こんなことを私に聞いてきたんです。英語にrepublicという言葉があるが、これはどういう意味かと。彼には、中国語でいう『共和国』が英語でいう“republic”とは意味合いがちがうことはわかっていた。しかし、そのちがいがどこにあるのか、そこを知りたかったようです」

 で、D先生はこれにどう答えたのか。「公式的な答え」をしたと彼はいう。すなわち、「主権が国民にあり、独裁者や君主のいない体制の国」と答えたのだ。では、中国でいう「共和国」とは、どのような意味か。

 事務長曰く、「どんな問題もともに考え、最終的に平和的な解決に至る国」を「共和国というのです」

 D先生はこの返答にひどく感心したという。私も感心する。というのも、中国では問題があるとまず話し合いが行われ、そこから最終的に双方が満足できる結論に達するというのが普通だからである。規則や法律は一応あるにせよ、重要なのは話し合いなのだ。

 一例を挙げれば、私はすでにここで2カ月以上も勤めている。ところが、一度も給料が支払われていない。その理由を事務員に聞くと、手続きが煩雑で時間がかかるのだという。調べてみると、ほかの外国人教員も同じように給与の支払いが遅れている。

 あきらめて待つしかない、とも思ったが、思い切って例の事務長に直接話してみた。すると、その三日後に給料が支払われた。給料日は決まっているのに、それとは関係なく支払われる。問題があれば、まず話すことがこの国では重要なのだ。中国は「人民」の「共和国」。この言葉の意味は現実に見合っているようだ。

(つづく)

<プロフィール>
大嶋 仁 (おおしま・ひとし)

 1948年鎌倉市生まれ。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。 75年東京大学文学部倫理学科卒業。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し、名誉教授に。

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