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明治維新を経てNEXTステージへ 丸の内の大家・三菱地所の本気(前)
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2020年03月03日 12:00

明治維新を経てNEXTステージへ 丸の内の大家・三菱地所の本気(前)

 江戸時代、大名屋敷などが立ち並んでいた東京・丸の内は明治維新後、陸軍兵営を経て、三菱に払い下げられた。その後、世界的にも指折りのオフィス街へと成長。2000年代の再開発により、オフィス街に加えてショッピングや飲食などの店舗数も増え、休日に丸の内を訪れる観光客や買い物客も増加してきた。丸の内の“大家”である三菱地所は、「丸の内NEXTステージ」を始動。人と企業が集まり、交わることで新たな価値を生み出す舞台へ進化させていくという。

 

沼沢だった江戸初期の丸の内

戦国時代の江戸図とされているが、後世の創作説もある「長録江戸図」
戦国時代の江戸図とされているが、後世の創作説もある「長録江戸図」
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 丸の内が、なぜ日本の中心地になり得たのか。その経緯から追ってみよう。1457年に太田道灌が、江戸城を築いたときから丸の内の歴史は始まる。現在では、道灌が築造した江戸城の面影はもはや残っていないが、当時の大手町付近には江戸宿が存在し、小規模ながらも城下町を形成。江戸湾入江には、大阪からの商船が来船し、取引があったといわれている。戦国時代の江戸は、下総や奥州へ向かう街道筋として重要な地域だったと推察されている。

 後世の創作説が根強いが、それでも当時の様子を想像できる長録年間の江戸図では、今の日比谷から馬場先まで海水が流入して、入江をなしていた。今の日比谷までが海際であり、ここに漁民の集落が存在したともいわれている。道灌の死後、江戸城は後北条氏の城となり、後北条氏滅亡後の1590年には徳川家康が江戸に入府した。家康の事績をまとめた「岩淵夜話」から見る丸の内周辺は、海に近いことから沼沢が多く、麹町から山の手にかけて茫洋たる武蔵野の草原がどこまでも続いていたことがわかる。

 江戸城拡張の際、丸の内一帯は幕府が召し上げ、大名街に指定された。丸の内から退去を余儀なくされた商人は、京橋や日本橋に店舗を構え、江戸随一の繁華街が誕生。丸の内には次々と大名屋敷が建設され、江戸時代を通じて大名小路と呼ばれた。丸の内の大名屋敷には福島正則、浅野幸長、池田輝政、黒田長政など豊臣恩顧の外様大名が多かったようだ。

 この界隈は、江戸城の外堀と内堀の間に挟まれていたことから、自然と「丸の内」と呼ばれていたが、名称が正式に採用されたのは昭和時代に入ってから。1929年4月の町名変更によって始めて「丸の内」が誕生した。

三菱が丸の内を取得した経緯

 明治維新によって、広大な大名屋敷は無意味な存在となった。しばらくの間は引受人もなく放置されたことで、屋敷の塀が崩れるなど、丸の内はみるみる荒廃。その後、明治政府は基礎が固まっていなかったこともあり、宮城(きゅうじょう、現在の皇居)の周辺に兵力を集中させた。大名屋敷などを兵営に転用し、二重橋前広場、丸の内、日比谷にかけて兵営街ができあがっていったが、1872年の銀座大火が丸の内を襲い、大半は焼け野原となった。

 明治20年代(1887年~)になると兵営を麻布に移転する案が浮上。営舎を最新式のレンガづくりにする案が提案されたが、これには陸軍経費の1割を占める150万円(当時)の予算が必要だった。

 当時、東アジアの情勢では朝鮮との権益をめぐって清との関係が悪化。軍事力の増強を行っていることもあり、150万円に上る建替え費用の捻出は大きな負担だった。そこで政府は、丸の内陸軍省用地を売却して、建築費に充当することを窮余の一策とした。最初は宮城に近いこともあり、宮内省に相談したが、財政上の余裕がないことから断られた。次に内務省を通して、ある企業に払い下げすることも持ち掛けたが、不調に終わった。さらに、有力な財閥を説いて入札させたが、150万円での入札者が不在で、これも不調に終わった。

 最後の手段として、当時の松方正義大蔵大臣が三菱社長・岩崎弥之助に「ぜひとも購入をお願いしたい」と提案すると、弥之助は快諾した。三菱の関係者からは、不要な土地を高値で購入したことに対して非難されたが、弥之助は「丸の内は竹を植えて虎でも飼う」と吹聴したという逸話が残っている。当時の丸の内は草の生い茂る原野と化しており、「三菱が原」と呼ばれた。

災害や戦禍を経て復興・再開発へ

戦争で燃える前の東京駅周辺
戦争で燃える前の東京駅周辺

 三菱は、建築家・辰野金吾とともにイギリスの建築家・ジョサイア・コンドル氏に学んだ曽禰達蔵を招聘。丸の内全域の測量や地質調査を実施し、第1~第3号館・東京商工会議所を相次いで竣工させた。さらに1914年の東京駅、23年の丸の内ビル完成によって、丸の内は急速に発展。大正時代には日本工業倶楽部など多くの建築が立ち並び、現在の丸の内の原型がほぼ完成した。

 関東大震災によって東京の建築物は試練を迎えたが、丸の内では東京会館の半壊や内外ビルの倒壊を除いて被害は軽微であったため、被災した官僚やビジネスパーソンが丸の内に集まり、首都復興の中心地となった。その後の太平洋戦争では、軍が丸の内のビルにあった金属という金属をすべて回収し、軍事用に転用。軍事会社も地方に疎開するようになって、丸の内も空室が目立つようになった。不幸中の幸いだったのは、東京駅やその他いくつかの建物が炎上したほかは、壊滅的な被害は少なく、終戦を迎えることができたことだった。

 戦後は復興の機運も高まり、丸の内の建築熱が再び過熱。東京海上別館、新丸の内ビルディング、中重ビルディング、東京ビルディング、永楽ビルディングなどが建設された。57年に三菱地所は「丸ノ内総合改造計画」を立案。丸の内仲通りを拡幅して裏通りの私道を廃し、赤煉瓦街の19棟の建物を解体して8棟の大型ビルに集約した。

 2000年代に入ってからは、再開発が急速に進行。02年には「丸の内ビルディング」が開業し、わずか4カ月足らずで入場者数が200万人を突破するなど、一躍観光スポットとなった。04年9月には旧国鉄本社跡地、JTB本社跡地、東京中央ビルヂング跡地に「丸の内オアゾ」や、重要文化財の明治生命館を保存しつつ周囲を再開発した「丸の内MY PLAZA」が開業。07年には、「新丸の内ビルディング」が開業した。

(左)丸の内仲通りの整備 1960年代 (右)丸の内仲通りの整備 1960年代
(左)丸の内仲通りの整備 1960年代 (右)丸の内仲通りの整備 1960年代

(つづく)
【長井 雄一朗】

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