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2020年07月01日 15:02

【特別寄稿/山崎伸二教授】新型コロナウイルス感染症は我々に何を教えてくれたのか(中)

大阪府立大学大学院
生命環境科学研究科 感染症制御学領域
教授 山崎 伸二

奈良の大仏は疫病(天然痘)退散のために建立

 ペストの流行は荘園制を含め中世ヨーロッパの「神」中心の価値観の終焉をもたらし、人間が中心の能動的、世俗的な価値観が形成され、ルネサンスの興隆につながった。その結果、天文学や地理学の発展、さらには羅針盤が実用化され、東洋の富や香辛料に対する野望から大航海時代突入へと導き、それは期せずして感染症を世界に広めることとなった。

 15世紀後半、クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸の存在に気づき、スペイン人は中南米の征服を試みた。その結果、アステカ王国やインカ帝国が滅亡したが、武力だけでなくスペイン人が持ち込んだ天然痘ウイルスが大きな影響をおよぼしたと言われている。

 我が国においての天然痘は8世紀に中国から持ち込まれた。当時、和泉国(南大阪)の人口の約30%にあたる人命が失われたと言われている。奈良の大仏はこのときの「厄払い」のために建立された。その後も何回か流行を繰り返し、京都の百万遍知恩寺は14世紀の流行時に百万遍念仏を唱えたことから名付けられた。

 江戸末期になると毎年人口の1%が天然痘で亡くなった。1796年、イギリス人エドワード・ジェンナーは、「乳搾りの女性は、牛痘(軽症の天然痘)にはかかるが、決して天然痘にはかからない」という観察から子どもに牛痘を接種し、牛痘ワクチンの天然痘に対する有効性を証明した。1849年、緒方洪庵は大坂に除痘館を開きジェンナーが開発した牛痘ワクチンを用いて多くの人々の命を救った。この種痘事業は多額の費用を要し、そのうえ人々の偏見とも闘わなければならなかったが、医師、町商人、役人らが協力することでこの難局を乗り切った。

 西欧に目を向けると1880年代のフランスは羊や牛などに炭疽病が大流行し、この病気を発症した動物の肉を食べると死に至る場合もあるため人々は怯えていた。ジェンナーの牛痘ワクチンの開発を参考にし、パスツールは炭疽病のワクチンを開発したが、多くの人がその接種に疑いと不安を抱いて反対した。そこでパスツールは市民の前で公開実験を行った。ワクチンを接種しなかった羊はすべて炭疽病で死亡したが、ワクチンを接種した羊はすべて生き残った。このニュースにフランス国民は熱狂し、免疫療法という予防医学の概念が登場した。

19世紀に誕生した「公衆衛生」「疫学」

 時代は再び大航海時代に遡る。15世紀後半、ヴァスコダ・ガマによってインド航路が発見されると、インドはイギリスによって統治される道を歩むことになる。インド・ベンガル地方の風土病であったコレラがインド全土に広がり、やがて世界大流行を引き起こす引き金となった。

 インドは四方を山と海に囲まれ孤立した地域である。とくにヒンズー教徒は宗教的な理由から海洋に乗り出すことを忌避していた。また、当時のインドは無数の国境線で分断され、言語や文化の異なるあまたの小国家からなっていた。それゆえ、コレラがインドの他の地域やインド亜大陸の外に広がることは極めてまれであった。しかし、インド全土を支配しようとしたイギリス軍の移動に加え、共通言語としての英語の導入、鉄道網の発展によって人々の往来や経済活動が活発になり、パンドラの箱が開かれた。

 19世紀、インドからコレラがヨーロッパに持ち込まれた当時、イギリスは産業革命により大変革の時代を迎えていた。工業化が飛躍的に進み、地方から労働者が都市に流入した。人々は下水設備もない雑居住宅に住み、不衛生な環境下での生活を強いられていた。その結果、ロンドンではコレラが流行し、瞬く間に人々が重症化して次々と亡くなるコレラになす術もなく、ただただ恐れていた。

 法律家エドウィン・チャドウィックは1842年、近代的な公共住宅、公園や下水設備の必要性など公衆衛生の概念に基づく新たな都市計画を提案した。一方、疫学という概念が誕生したのもこの時である。外科医ジョン・スノーはロンドンでコレラが集団発生した際、患者が出た家を地図上に記していった。患者が多い地区の中央に井戸があることを見つけ、この井戸が感染源に違いないと考え、その柄を取り外して人々がその井戸水を使えないようにした。その結果、コレラ患者はみるみる減少し、この井戸がコレラの原因と結論づけられた。この画期的な出来事はコレラ菌が発見される以前のことであり、「公衆衛生」や「疫学」という学問の誕生につながった。

 19世紀になると消毒という概念も誕生した。当時、外科手術に成功してもその半数以上は傷口の化膿によって命を落とすという悲惨な状況であった。多くの外科医はその現状に甘んじていたが、イギリス人外科医であるジョセフ・リスターはこの難題に立ち向かった。彼はパスツールの論文「空気伝染する微生物」を読み、「空気中の微生物こそが化膿の根源に違いない」と確信し、石炭酸の水溶液を傷口の消毒に用い、さらには噴霧器を用いて手術室全体を消毒した。その結果、手術後の感染症による死亡率は著しく低下した。

 19世紀後半には、北里柴三郎とドイツ人エミール・アドルフ・フォン・ベーリングが破傷風とジフテリアの抗毒素療法を開発した。今回のCOVID-19でも、快復した患者の血清を重症患者に投与して治療することが試みられている。

(つづく)

<PROFILE>
山崎 伸二

1984年 神戸学院大学薬学部卒業、大阪大学大学院薬学研究科、東京大学大学院医学系研究科、京都大学大学院医学研究科を経て、89年京都大学助手、91年医学博士(京大)、95年国立国際医療研究センター研究所室長、 2001年大阪府立大学大学院農学生命科学研究科教授。1991年-94年ドイツ国立動物ウイルス病研究センター、1998年-2000年インド国立コレラ及び腸管感染症研究所、2017年-19年大阪府立大学学長補佐、日本細菌学会理事、日本食品微生物学会理事、AMED日米医学協力研究会コレラ部会  部会員、AMED J-GRID プログラムオフィサー等を務める。

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