2024年04月29日( 月 )

歴史・交通・人をつなぐ結節点~海峡都市下関市のこれから(6)

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3度目の正直となるか「あるかぽーと」開発

星野リゾートがホテル開発を予定する「あるかぽーと地区」

 こうした都市計画が進む一方で、近年の下関市の都市開発における課題の1つが、冒頭に紹介した「星野リゾート OMO 下関(仮称)」の開業が計画されている「あるかぽーと地区」での開発だ。

 「あるかぽーと」は唐戸エリアの臨海部に位置する約10haの埋立地で、その名称の由来は「アルカディア」(理想郷)と「ポート」(港)を組み合わせたもの。同地における住所表記にもなっている。同地には前出の海響館のほか、13年9月に開業した遊園地「はい!からっと横丁」などが立地して人気の観光スポットとなっているものの、未利用地も多く残されており、長年の懸案事項となっている。

 市では99年に最初の事業者公募を行い、その結果、(株)神戸製鋼所を中心とするグループによる開発会社「下関みなとまち開発」が事業者に決定。複合商業施設やホテルなどの大型開発を計画していた。だが、これに対して近隣の商店街などが猛反発。07年に市議会が土地の売却議案を否決したことで事業は頓挫とし、計画は幻となった。

 この最初の頓挫を経て、市民の理解や市議会との合意が得られる計画を目指し、敷地条件を借地の賃貸契約に変更したうえで、2度目の事業者公募を08年5月に実施。19階建てのシティホテルやシネマコンプレックス(複合映画館)などの開発を提示した大和リース(株)による提案が選定された。だが、翌年に発生したリーマン・ショックを起因とする経済情勢の悪化などでテナント交渉が難航し、大和リースは10年3月に事業から撤退。計画は再び白紙となった。

 こうした過去2回の計画頓挫を経て、市では3回目の事業者公募を18年11月に実施。星野リゾートを含めた2社が参加してそれぞれの提案に関するプレゼンとヒアリングが行われた結果、19年3月に星野リゾートが優先交渉権者に決定し、同年4月に市と星野リゾートとの間で基本協定が締結された。今年に入って新型コロナの影響はあったものの、23年春のホテル開業に向けた地質調査が実施されていることもあり、下関に新たな魅力を創出する“3度目の正直”となる開発への期待が寄せられている。

海峡横断の第3の道路「下関北九州道路」

 下関市における今後の開発動向で、もう1つ注目を集めているのが、関門海峡をわたる第3の道路交通とされている「下関北九州道路」(第二関門橋)だ。

関門橋

 下関北九州道路は、下関市彦島と北九州市小倉北区とを結ぶ地域高規格道路路線。80年代後半の「北九州地域産業・港湾都市計画調査」で構想が浮上したのが最初で、91年11月には「関門海峡道路整備促進期成同盟会」(現・下関北九州道路整備促進期成同盟会)が設立された。現在はまだ構想段階だが、実現に向けてルートや構造などに関する調査が実施されており、開通すれば、関門橋や関門トンネルのバイパス路線として道路ネットワーク全体の信頼性向上に重要な役割をはたすことが期待されている。さらに、これまでの陸路は門司区としかつながっていなかったが、北九州市の中心である小倉との直接接続が実現することで、下関市との両都市間の交流による経済波及効果にも期待が寄せられている。

 9月11日には要望団体を代表して福岡県と山口県の両知事が、国土交通大臣に対する下関北九州道路の早期実現に向けた要望を、ウェブ回線を用いたリモートで実施した。今後の実現に向けて、また1つ歩を進めたかたちだ。今後、早期の実現に至れば、下関市の将来的な発展を下支えする強力なインフラの1つとなるだろう。

  

 日本史の節目にたびたび登場してきたほか、本州と九州をつなぐ地勢上の重要拠点として発展してきたことで、今でも県下最大の人口と経済規模を誇る下関市。近年は、通過都市化による都市部の空洞化や人口減少、さらには合併での市域の拡大による地域間格差の発生など、都市としてさまざまな課題に直面している状況にある。とはいえ、下関港が国際拠点港湾および中枢国際港湾に指定されているように、関門海峡に隣接する港湾都市としての重要性はいまだ高いうえ、山陽エリアおよび山陰エリアを通る主要道路の起点となっているなど交通の要衝としての地位は健在だ。今後、下関北九州道路の開通によって、政令市・北九州市との双方向での交流が促進すれば、海峡都市・下関市の新たな発展につながっていくだろう。

(了)

【坂田 憲治】

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