2024年10月13日( 日 )

NTT対ドコモ、28年にわたる暗闘の歴史~ドコモの完全子会社化で決着(2)

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 「携帯電話料金の4割値下げ」に執念を燃やす菅義偉政権が誕生した。早速動きがあった。政府が筆頭株主のNTTは、4兆2,500億円を投じてNTTドコモ(以下、ドコモ)を完全子会社化する。ドコモが二の足を踏んできた携帯電話料金の値下げを、菅政権の意をくんでNTT主導で実施するためだ。
 ドコモが1992年にNTTから分離独立して以来、両社の間は緊張関係にあったが、NTTが今回、資本の論理でねじ伏せた。NTTとドコモの暗闘の歴史を振り返る。

ドコモは島流しの左遷口だった

 1999年に持株会社NTT、固定電話のNTT東日本とNTT西日本、長距離通信のNTTコミュニケーションズ(NTTコム)に分割され、現在の経営体制が整った。NTTの筆頭株主は財務省で34.69%を保有。電気通信の安定性の観点から、NTTの発行済み株式総数の3分の1以上を政府が保有することが定められている。

 政府が筆頭株主で半官半民の持株会社NTTがグループを統括することになっているが、力をつけた傘下の事業会社はNTT離れを強めた。その代表格が、携帯電話のNTTドコモである。NTTはドコモ株の66.21%を保有している。

 92年、ドコモの前身であるNTT通信網が発足した。当初はポケベルが主力で、ドコモは社内で「左遷先」と陰口をたたかれた。集められたのは「無線屋」と呼ばれた移動通信部門の社員たちであり、固定電話の会社だったNTTにあって「傍流中の傍流」といえる存在だ。

  初代社長の大星公二は以前、NTTの事務系の社長候補の1人だった。しかし、事務系を支配していた労働族のドン、児島派ではなかった。そのため、当時は海のモノとも山のモノともわからない大赤字の携帯電話事業へ転出。社長の肩書はついたものの、現実は島流しだった。これに大星は発奮する。その思いは、NTTの技術系のエリート街道を邁進していたのにドコモの常務に飛ばされた立川敬二も同様だ。

 この2人の「NTTを見返してやる」との強い思いが、NTT何するものぞとの気概につながり、自主独立の社風を生んだ。

ドコモ初代社長の大星「NTTの冠はいらない」

 初代社長の大星はことあるごとにNTTからの独立を主張した。NTTグループ以外のプロパー社員を主流にして、携帯電話で独走態勢を築いた。ドコモの中興の祖と呼ばれた大星は、事業でも人事面でも、NTTの介入を排除してきた。

 2代目の技術系出身の立川も、大星路線を引き継いだ。99年にサービスを開始した「iモード」は、モバイルインターネット時代の先陣を切る画期的な機能だった。iモードの開発に際しても、社外から多様の人材を登用したことが史上まれに見るヒットにつながった。官僚的な組織では、決してあのようなサービスは生まれないし、生まれたところで、使い勝手の悪いものになっていたに違いない。

 90年代後半から固定電話は減少に転じ、携帯電話は爆発的に伸びた。2002年3月期のドコモの営業利益が1兆円を突破。ドコモ社内から独立論が台頭した。大星が、立川にバトンタッチする際に口にした「NTTの冠はいらない」という言葉は、当時のドコモの経営陣、社員の気持ちを雄弁に物語っている。

 これに危機感を抱いたのが、親会社のNTTだ。02年、労務屋の和田紀夫が5代目社長に起用された。使命は、ドコモの独立を阻止し、ドコモをNTTに服従させることである。

NTT歴代社長

NTTドコモ歴代社長

(つづく)

【森村 和男】

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