都心の利便性と居住性が魅力、福岡市「薬院・平尾エリア」(3)
戦後復興とともに宅地化・都市化が進行
戦後、焼け野原となった中心市街地の復興のために、福岡市は国が制定した特別都市計画法に基づき、47年1月から「戦災復興土地区画整理事業」に着手した。同事業は天神や中洲、博多部などの約328.7haもの広大な中心市街地を対象に、総事業費11億9,201万円(当時)をかけて行われた25年におよぶ長期事業で、7回もの事業計画変更を経ながら10路線の都市計画道路新設や、市内電車軌道と西鉄大牟田線の移設、建物の移転、公園の整備などを実施。このときに、現在の福岡市中心部の都市基盤が整備された。この戦災復興事業のエリア内ではなかったものの、市中心部の復興が進むにつれて、周辺部にあたる薬院・平尾エリアでも徐々に復興が進んでいった。

53年7月には、福岡市として実施した最初の土地区画整理事業である「平尾地区土地区画整理事業」が事業着手した。同区画整理事業は、厳密には住所表記上の平尾ではなく、その南側に位置する平和(中央区/南区)を中心とした施行面積162.7haにおいて、総事業費3億643万円(当時)をかけて、64年11月までの約11年間の事業期間で行われたもの。幅員8~11mの都市計画道路3本を築造し、これを基幹として地形に応じて区画街路を設置したほか、宅地の整地化にともない排水路を灌漑用水路と兼用するかたちで整理。施行前は宅地3.00%、道路1.75%、河川水路0.44%、田畑12.53%、その他82.28%だった土地利用割合が、施行後には宅地29.34%、道路11.55%、河川水路0.62%、公園緑地2.97%、田畑5.60%、その他49.92%に変更されるなど、宅地化が急激に進行した。
平尾エリアは同区画整理事業のすぐ北側にあたり、浄水通や平丘町などのいわゆる“高級住宅街”の南東側にあたるため、挟まれるかたちで閑静な住宅地の形成が進んでいった。また近隣では53年8月に、南公園の一角(旧平尾浄水場の跡地)に福岡市動物園が開園。64年4月には前出の振武寮が取り壊された跡地に、「九電記念体育館」が開業した。
その後も薬院および平尾エリアは、西鉄天神大牟田線(当時は大牟田線)の沿線であり、天神から1~2駅の至近地であるという好立地を生かして発展を続けてきた。78年3月には西鉄平尾~大橋間の高架化が完了。95年3月には西鉄福岡(天神)~西鉄平尾間の高架化も完了し、ダイヤ改正によって薬院駅には特急を含めた西鉄の全電車が停車するようになった。こうした鉄道利用における利便性の向上も相まって、とくに薬院駅周辺では都市化が進むなど、その発展度合いを強めていった。

その一方で、75年11月に路面電車の城南線が廃止。また、福岡市地下鉄空港線の建設計画にともない、83年3月には国鉄・筑肥線の博多~姪浜間が廃線となり、鉄道路線の整理・淘汰が進んだ。なお、筑肥線の筑前高宮駅から鳥飼駅までの間の線路跡はその後、「筑肥新道」として新設・拡幅され、現在もエリアの主要な道路の1つとして利用されている。

2005年2月には、福岡市地下鉄七隈線の開通とともに、「薬院駅」と「薬院大通駅」が開業。西鉄と地下鉄の2つの薬院駅は、同じ場所の地上部と地下部にそれぞれ設置されているほか、駅前から博多駅方面へのバスに乗り換えることも可能で、交通結節点としての機能が強化された。また、05年4月には市の「薬院大通り西地区第一種市街地再開発事業」によって、薬院大通駅の地上部にRC造の地上18階・地下2階建ての複合施設「薬院大通センタービル」がオープン。
こうして、城南線沿いを中心にオフィスビルが多く立ち並ぶ薬院エリアは、中心市街地・天神の南端に位置する中心業務地区として、さらに南側に位置する平尾エリアは、近隣の浄水通などとともに閑静な住宅街として、それぞれ現在に至っている。
(つづく)
【坂田 憲治】