2024年04月24日( 水 )

【八ッ場ダムを考える】完成まで68年八ッ場ダムにおける「闘争」とは(4)

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 「八ッ場(やんば)ダム」は、2009年9月、民主党政権下でダム建設中止が宣言されたことから、一躍全国的に有名となったダムだ。その完成には、1952年の調査開始から2020年の運用開始まで、68年の年月を要した。その原因は、地元住民との合意形成に手間取ったということに尽きる。「東京圏の住民のために、なぜ我々が犠牲にならなければならないのか」という長野原町住民の悲痛な訴えにちゃんと応えることは、それだけ重く、難しいものだったわけだ。ダム建設68年間の歴史では、どのような「闘争」が繰り広げられてきたのか。ダム完成から1年が経とうとしている現在、ダム周辺の住民の暮らしはどうなっているのか。関係者に取材した。

暮らしやすさ実感も「人が減った」

 現地再建方式による代替地は、5地区に造成され、98世帯が移転した。その際、もともとのコミュニティを保ち、同じ地区の住民同士が一緒に暮らせるよう移転場所が配慮された。

 現在、移転先で茶屋を営むある区長は、「以前より暮らしやすくなったが、かつては85世帯あったものが、町外へ転出する世帯が多く出たので、今では17世帯に減った。とくに若い人がおらず、消防団など村役をできる人がいなくて困っている。将来的な地区の存続のためには、他の地区との合併を考えないと、厳しい」と話している。

 八ッ場ダム完成後には、過去の話題性も手伝って、多くの人が訪れたという。とくに週末は、道の駅の駐車場は満車状態が続くほど、大盛況を見せていた。国交省の集計によれば、これまでに八ッ場ダム堤体に訪れた客数はのべ約20万人(21年2月時点)となっている。ただ、新型コロナウイルスの影響で、ここ数カ月は、周辺の多くの観光施設がほぼ開店休業状態となっており、客足もまばらな日々が続いているそうだ。

いまだ続くダム関連事業

 道路関係では、茂四郎トンネル、雁ヶ沢トンネルで結ぶ国道145号の付替え(八ッ場バイパス、延長10.8km)が行われたほか、ダム湖両岸を結ぶ八ッ場大橋(橋長494m)、不動大橋(橋長590m)、丸岩大橋(橋長442m)、長野原めがね橋(橋長338m)の4橋が架けられた。不動大橋近くには、道の駅「八ッ場ふるさと館」が整備されている。

 JR吾妻線も付け替えられた。付け替えた線路延長は約10kmで、そのほとんどがトンネル区間となっている。移転した川原湯温泉駅の近くには日帰り温泉やキャンプ場などを備えた「川原湯温泉あそびの基地NOA」が配置されている。本体下流側では、県企業局が発電所を建設中(20年度末完成予定)であるほか、代替地での土地改良工事、道路や上下水道整備が残っている。

地元との信頼関係がすべて

八ツ場ダム(画像提供:国土交通省)

 八ッ場ダム担当職員には、「残事業が完了しても、それで終わりではない。引き続き地元住民をケアしていかなければならない」という思いがある。このケアの中身には、地元の祭などへの参加や飲食に付き合う、雪かきを手伝うといったプライベートなものも含まれる。ダム担当職員には、地元出身者も少なくなく、なかには25年以上携わってきた者もいる。

 「なぜそこまでするのか」と問うと、職員から「ダム事業は地元との信頼関係がすべてだからだ」という答えが返ってきた。この言葉を聞いたとき、68年という歴史の重みのようなものをまざまざと感じた。「ハイテクを駆使した巨大な土木構造物であっても、いや、だからこそ、最後は人と人のつながりが大事なのか」と。

(了)

【大石 恭正】

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