【八ッ場ダムを考える】長野原町ダム担当副町長に聞く〜ダムに水没した長野原町の苦悩と希望(後)
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八ッ場ダムによって、かつて川原湯温泉で賑わった1つのまちなみが水の底に姿を消した。ダムの犠牲になったのは、長野原町の川原畑、川原湯、林、横壁、長野原の5地区、340世帯だ。町では水没住民が中心となり、ダム建設反対運動が激化。1970年代には、ダム反対を掲げる町長が登場するなど、ダム建設は町を二分する深刻な問題と化した。その後、生活再建案が示されたことを機に、苦渋の選択の末、町はダム建設容認へと大きく舵を切ることになった。この苦渋の選択とはどういうものだったのか。群馬県長野原町の佐藤修二郎・ダム担当副町長に話を聞いた。
ダム成否は「これから」
――国交省によれば、19年10月の台風19号にともなう豪雨の際、試験湛水中だった八ッ場ダムのおかげで、利根川の氾濫を防げたそうです。
佐藤 6都県からは、八ッ場ダム完成後も長野原町に対し、協力していきたいというお話をしていただいています。氾濫を防いだということで、八ッ場ダムと長野原町への感謝のお気持ちをお示しいただきました。
――「八ッ場ダムができて良かった」と思いますか?
佐藤 それは難しい質問ですね。今の段階では、「ダムができて良かった」と思えるよう、工夫しながらいろいろと取り組んでいかなければならないと思っているところです。必要なインフラはできあがっていますが、それを活用してどれだけのまちづくりができるかは、これからの話です。ちゃんと評価できるのは、数十年後だと思います。
――八ッ場ダムと何かと比較される川辺川ダムについて、どうご覧になっていますか。
佐藤 熊本県知事が08年にダム計画を白紙撤回したのは、水没予定地である五木村ではすでに住宅などの移転がかなり進んでいたタイミングだったと承知しています。このタイミングでの白紙撤回は、あまりに無責任で、地元にとってかなり残酷なことだといわざるを得ません。もし、八ッ場ダムで川辺川ダムと同じような白紙撤回があったとすれば、地元住民から県に対する猛烈な反対運動が起きていたはずです。
――やはり「無責任」ですか。
佐藤 ええ、そう思います。県知事として、ダムの犠牲になる自治体、その住民を守らないのは、おかしいと思います。
――ダムを白紙撤回しておきながら、後にやっぱりダムは必要だと方向転換していることについては、どうお考えですか。
佐藤 知事が違う人に変わっていたのなら、判断が変わっても仕方ないとは思います。ただ、12年間にわたってとくに何も対策を打たなかった同じ知事が、元に戻って、しかも流水型ダムをつくるというのは、やはりおかしいといわざるを得ません。治水ダムの場合、受益者による負担がないので、水没する自治体の立場になってみれば、ただの「沈み損」です。まったく真逆の判断を下す知事に対して、住民の方々が本当に納得し、理解しているのかどうかが一番の気がかりです。
(了)
【大石 恭正】
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