こども病院跡に医療・教育施設?変貌する「福岡・唐人町」(前)
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かつて唐人の集落があった、河口に位置する海沿いのまち
江戸期の唐人町は、北を博多湾、東を黒門川、西を菰川、南を福岡城の大濠と、四方を水辺に囲まれており、地形的にはさながら浮島に近い様相を呈していたとされている。エリア内を唐津街道が通り、福岡城方面からは、黒門川をわたって唐人町に入るところに、城下の内郭と外郭とを隔てる門として「黒門」があった。この門は古くは「呉(くれ)門」と呼ばれていたとされているが、呉とはかつての中国の総称のこと。唐人町には中国人・朝鮮人が居住していた場所とされていたため、そこに入る門として呉門という名が付けられ、後に転訛して黒門となったという説がある。
なお、唐人町という地名の由来については、今述べたように唐人(中国人)が住んでいた場所であったためとか、唐船の寄港地であったとか、遣唐使が身支度を整えるまちであったとか、いろいろと諸説はあるものの、実際のところは定かではない。貝原益軒によって江戸期に編纂された地誌・筑前国続風土記では「其始高麗人住せり」との記述があるほか、その続編として青柳種信によって編纂された筑前国続風土記拾遺では「往古は唐船が泊まりしゆえ、如此名あるよし」などという記述がある。こうした地誌の記述でも、この近辺に中国人らが住んでいたことや、唐船の寄港地であったことから唐人町という名前になった旨はあるものの、その時期などについては定かではない。ただし、平安期の外交施設「鴻臚館」がすぐ近くの中央区城内にあったことを考えると、唐人町界隈に中国人らの集落があったとしても不思議ではないだろう。
【坂田 憲治】
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